僕の旅はまだまだ続く

ハーレーを中心とした旅の記録

GW鳥取へ5日目~島根浜田から人吉へ~

本日のルート

 

朝、目を覚ますと5時30分だった。
昨夜吹き荒れた風も止んでいて、温かい朝だ。

まだ、雨は降りだしていないが、今にも降りそうな空模様。

急いで荷物を炊事棟の屋根の下に移動し、パッキングする。
一段落したところで、昨夜買っておいた弁当を食べ、朝食とする。

カッパを着込み、長靴をはく。
がんばって、一度で荷物を駐車場のバイクのところまで運ぶ。汗びっしょりになる。

この旅で一度も風呂に入っていない・・・。

バイクに荷物を括り付け、防水対策で、シルバーシートで荷物を覆う。
ヘリメットのシールドも付け、いつ雨が降り出しても大丈夫な体制をとる。

スタート前のメータ―の写真を撮り、石見海浜公園を出発。7時。

走り出すと、空がさっきより明るくなっている。
しばらく雨は降らないかもしれない。

浜田バイパスに乗る。無料の高速だ。
車がほとんど走っていない。
風が強く、気を抜くと、バイクごと風にもっていかれそうになる。
怖いくらいだ。姿勢を低くして走る。

ずっと山の中を走っていたが、終点近く、右手に日本海が見えた。
写真を撮ろうと、路肩にバイクを寄せ、カッパのポケットからカメラを取り出そうとすると、カメラがない。
あれ、えっ、なんで、慌ててあちこちのポケットを探るが、ない。

えっ、落としたの?

まさか、気が動転する。

カッパを着込んだ時には気付かなかったが、ポケットが浅い。
走行中に落としたのか。しまった、とりあえず、終点まで走り、そこから反対車線に入り、もう一度同じルートを走って確認することに。どこか路上に落ちているかもしれない。

それに、もしかしたら、石見海浜公園内で落としたかもしれない。
それならあるはずだ。

いや、浜田バイパス内なら踏みつぶされてしまったか、いや、あまり車も走っていないから残っていないか、橋から落ちたのかも、そんな考えが頭の中でぐるぐるめぐる。

走りながらも、目はじっと反対車線のさっき走ってきた車道を追うが、それらしきものはない。
40分かけて、石見海浜公園まで戻るがない。管理棟は、まだあいていない。8時30分からとドアに張り紙がしてある。

えーい、仕方ない。
もう一度だ。ということで、もう一度、浜田バイパスに乗り、探す。

探すがやはり見つからない。

結局、石見海浜公園まで戻り、管理棟で、落し物はないかと尋ねる。
事情を話すと、いたく同情してくれ、警察への手配やカード会社への連絡、道路公団の電話番号などを一緒に調べてくれたり、電話を貸したりしてくれたりした。別の職員の方は、スクーターで敷地内を調べてくれた。

自宅へ電話をしたが、妻はもう仕事に出かけたようで、いない。
留守電を残す。奥さんの携帯電話番号がわからない。これが失敗だった。
警察へ電話し、紛失届を出した。
カード会社へ電話をしたが、よくわからない。
道路公団にも届いていないという。高速だから、人が持って行った可能性は低いだろうということだった。

スマホをなくしたことで、一緒に入れていたクレジットカードも併せてなくした。
これは再発行すればいい。

スマホをなくしたことで、スマホに保存していた写真がなくなった。これは痛い。
クラウドにあげていたか?
いつかバックアップとった記憶があるが、いつだったか。

スマホをなくしたことで、アプリがなくなった。これは、そう大事なものはなかったはず。再インストールで済むからよい。

ただ、LINEがバックアップできていない。おまけにIDもPWをどこかに記録した記憶がない。LINEがパーだろう。これはかなり痛い。

すべては自分のミスである。

お礼を言って、石見海浜公園を出る。
旅の最終日が失意の旅の始まりになった。

それにスマホをもたない旅だ。
大げさに言えば、羅針盤をもたずに、航海に出る気分だ。
羅針盤をもたずに、航海に出たことはないし、航海もしたことはないが。

スマホがなかった時代は、地図をもって旅をしていた。
スマホをもってからは、地図を使わなくなった。
スマホで時間も、ルートも確認できるようになった。
スマホに頼って旅をしていた。

スマホがないだけで、すごく心細い。
そんな不安を感じる自分にも正直驚く。
まだ、雨は降りださない。10時。

スマホ紛失で、3時間のロス。
今できることは、道路標識を頼りに南下するだけだ。
ただ、ルートのイメージはある。
山口まで行けば、そのあとは何度も通ったルートだ。
大丈夫。自分に言い聞かす。

さあ、無事、人吉に戻れるか。
再出発。

再び、浜田バイパスに乗る。
もう一度目を凝らし、スマホを探すが、やはり見つからないまま、終点へ。
国道9号線に入り、益田を目指す。

益田から津和野に向かうか萩に向かうか迷うが、津和野から山口ルートは前回の旅で走ったこともあり、もしかしたら遠回りかもしれないが、萩から山口ルートで行くことにする。

空はどんより鉛色。
自分の気持ちのようだ。
しばらく走ると萩に入り、前回の旅で通った記憶のある道に出る。

山口の道路標識を頼りにバイクを進める。
雨が降り出してきた。

途中、信号停車するときに、バランスを崩し、バイクを倒してしまう。

荷崩れして、一人では持ち上げられない。
車は自分とオートバイを大きくよけていく。

雨はどんどん強くなっている。
あー、くっそっと思っていると、一台の車が止まってくれ、
「大丈夫ですか」と言って、30代ぐらいの男性がバイクを起こすのを手伝ってくれた。

若いころはやんちゃでしたという感じの男性だったが、
「荷物が崩れたんでしょう、大丈夫ですか?」彼の温かい言葉に涙が出そうだった。

お礼を言う。
男性は「気を付けて」と言って、車で走り去った。

路肩にバイクを止め、雨は降っているが、今後のことも考え、
荷物をほどき、もう一度荷物を確実に括り付けた。

今回の荷物の量では、ロープが短かった。
雨の中、荷物をくくりなおす。

気を取り直して、再出発。
雨足がどんどん強くなる。

道は山の中に入っていく。
どんどん山奥に入っていく。

このルートで間違いなんだよなと不安になる。
雨足もどんどん強くなる。
びっくりするぐらいの大雨だ。

カッパもすでに用をなさない。
腹や股のあたりはもうびっしょりだ。

寒い。

何度もヘルメットのシールドを手で拭いながら視界を確保する。
ここで事故ったら、ここで転倒したらと思うと気が気ではない。
生きて帰れるか、真剣にそんなことを思う。

ハンドルを握るグリップに力が入る。

峠を越え、ようやく山口市街に入る。
通りにあったスタンドにバイクを止め、給油するついでに、電話を貸してくれないか店員に頼む。

店員が店長に相談に行く。
怪訝な表情で店長が出てきた。事情を話すと店の電話を貸してくれ、
最後は自分の電話でもかけてくれた。ありがたい。

いろんな人に助けられての旅であることをしみじみ思った。
お礼を言って、再び雨の国道に出る。

店長に聞いた通り、高速に入り、SAで休憩する。
通りがかりのおじさんが、「大変だね」と声をかけてくれる。

全身濡れネズミである。
寒い。
荷物を解いて、着替えを出し、トイレに入り、乾いたTシャツとシャツに着替える。

予備のカッパも着こみ、カッパとカッパの間にはビニール袋を挟みこみ、防水対策とする。すこし温かくなった。

公衆電話で自宅に電話をするが、やはり留守電。2時。メッセージを残して、大雨の中、再出発。

雨足は相変わらず、強いが、カッパとカッパの間にビニール袋を挟みこんだ成果大である。雨のしみこみがなくなった。

こんな商品を作ったら、売れるかも。
けど、普通は、大雨の日はあまり走らない。

小月というところから事故渋滞という表示がある。
こんな雨の中、渋滞に捕まったらシャレにならないと思い、その前のICで降りる。

しかし、降りても、道が分からない。
とにかく、道路標示を頼りに、南を目指す。

下関の長府で、駅が見えた。そこで、駅なら公衆電話があるだろうと、公衆電話を探すが公衆電話はなかった。
ほんと、スマホに慣れてしまっていたが、スマホがないとこんなにも不便なんだと痛感する。

雨でびっしょり濡れ、寒さで震えながら、弱気になる。

なんとか、下関トンネルまでたどり着き、関門トンネルを通って、ようやく九州へ入る。気持ち的に九州に入るだけで、少し安心できる。

トンネルを出てすぐの公園の脇に公衆電話を見つけ、自宅に電話。

妻に状況を話し、帰宅が遅くなることを伝える。
状況を伝えらたことで、すこしホッとする。
「気を付けて、無理せずにね」と言ってくれる。

ほんと、気を付けなければ、人吉までたどり着かない。
気持ちで、公衆電話から雨の中に戻る。

門司から、北九州都市高速に入り、黒崎まで走る。
都市高速を使ったことで、大分時間を短縮できたとは思うが、夕方がすぐそこまで迫っている。

寒い。雨はやまない。やみそうにもない。
やはり、下関から九州道に入り、一気に南下するべきだったか。

迷いがあせりになる。落ち着け、自分である。

国道3号線を走る。
古賀あたりからは車も多くなり、なかなかスピードが出せない。

すり抜けすり抜けでようやく福岡市に入り、都市高速に乗る。

寒い。寒い、寒いばかりがすべての感覚になってしまっている。
ヘルメットシールドに降りかかる雨を手で拭いながら走る。

集中力を切らさないようにしないといけない。

陽が沈んできた。
ようやく福岡に入る。
雨で福岡の街も暗い。
大宰府に入るころには陽は沈み、夜になった。

GW後半だからか、車の数は多く、どの車をスピードは上げられない。

雨の中、安物の小型ヘッドライトの明かりは暗く、心もとない。

正直、良く見えない。
前の車のテールライトが頼りだ。
遅いスピードで、車線を変えず、前の車のテールライトに集中しながら、じっと走る。

寒さがピークを迎える。
広川SAに入る。
公衆電話で妻に電話。

無理して帰ってこなくてもいいから、どこか一泊すればと言ってくれるが、もはや止まる場所を探す手段もなく、明日も雨だということを考えれば、走りぬくという一択しかない。

雨に濡れながら、最終手段、夜気温が下がった時の最終手段として残していた革ジャンも着こむ。手袋も、ビニール手袋の上に、溶接用をはめる。防寒対策はこれで最後だ。

もう着替えもない。

これで人吉まで走り切るしかない。

南下するに従い、車も少し減ってきて、夜がますます暗くなる。
玉名あたりは真っ暗だ。

雨は依然、強いが、革ジャン、皮手袋の効果か、雨はしみこまない。
さすが革物は強い。

雨のせいもあるが、真っ暗な九州道を走ると、熊本がやたら遠く感じる。
ようやく熊本ICを超えたあたりから、やや雨脚が弱まってきた。

あと少し、あと少しと自分に言い聞かしながら、宮原SAで最後の給油をする。

店員が「どこまでですか」と聞いてきた。人吉までと答えると、
「あと少しですね、用心して」と言ってくれた。
こんな言葉がほんと、うれしい。
お礼を言って、再び走りだす。

どこよりも真っ暗な八代、人吉間のトンネルばかりの真っ暗な高速を走り、人吉の町が見えてきたときには、本当にほっとした。

ほっとしたが、5日ぶりの人吉の夜は、暗闇の中にところどころぼんやりと明かりが灯るだけの死んだような町に見えた。

なぜだろう。

10時30分、自宅着。
大げさだが、生きて帰れたと思った。

疲れた。寒い。
ずいぶん走った。

GW鳥取へ4日目~鳥取倉吉から島根浜田へ~

本日のコース

朝は5時に目を覚ます。
なんかよく眠れなかった気がする。

しばらくテントの中でぼんやりする。
朝飯に、袋ラーメンを食べる。札幌一番塩ラーメン。
おすすめ。

パッキングを済ませ、スコットに挨拶しようと彼のテントの付近に行くが、正確な場所が分からない。仕方ないから、ラインで別れを告げる。

朝のまだ冷たく濃い空気の中を、米子を目指して出発。
畑の中を走る。

倉吉から米子を目指して

左手に大山が見える。

国道9号線に出て、ガソリンスタンドで、ガソリンを入れる。
スタンドの人に、ここから米子に行くには、高速に入ったがいいか、このまま国道9号線がいいか尋ねると、このま国道9号線でいいとのこと。

鳥取の人間はだれも高速使わないよ。どっちも同じぐらいのスピードで走れるから」ということだった。

昨日の経験からも鳥取は車が少ない、なるほど。納得である。
ということで、国道9号線を米子目指して走る。

大山が左手に見える。
雄々しい山容である。
いつかチャンスがあれば登ってみたい。
しかも名前が大山だし。

国道9号線から大山を望む

空はどんより曇って、雲が厚い。
寒くはないが、今日は晴れ間は期待できないのかも。

米子は、想像以上に大きな街だった。
安西水丸が言っていたとおり、お城は草ぼうぼうではなく、きれいに整備されていた。

天守からは米子の町と中海が一望できた。
きもちのよい城だ。観光客も多い。

米子から、安来市月山富田城を目指す。
途中で雨がパラパラ降りだす。

あー、もたないか。これまでか。仕方ない。
シルバーシートを出し、荷物を包む。防水性は高いはずだが、包みにくい。大きすぎた。

なんとか包み走り出す。
しかし、月山富田城についたころは、雨は止んだ。
まだ、本降りにはならなそうではある。

ただ、困ったことに、月山富田城は山城だった。しかも想像以上に規模が大きく、本丸は遥か遠く、ずっと高い頂上にある。

本丸目指して歩く人が、豆粒のように見える。あそこを上るのか。
エンジニアブーツで。とほほである。

とほほであるが仕方ない。
汗びっしょりになってのぼる。
それにしてもよくぞ、こんなところに城を作ったものだ。

ここでは、有名な戦が行われている。
ここでは多くの命が失われたはずである。
もう何百年も前に。
城廻りをすると、どの城でも思う。

城の多くは、戦いのための施設であり、ずっと昔に、城をかけ、多くの人が命を懸けて戦ったのだと。

また、ある本では、戦いのための施設だから美しいのだと。石垣のみであってもと書いてあった。その通りだなとも思う。

本丸からは、ずっと遠くが見渡せた。
毛利氏はどこから尼子氏を攻めたのだろう。

また、ハアハア言いながら登った道を下り、駐車場に戻る。テントでイノシシの串焼きを売っていたので購入。

300円。中国地方のイノシシもおいしい。

また、雨が降り出した。
当初は、米子まで戻り、境港まで行こうかとも思っていたが、雨も降りだしてきたことだし、境港はパスして、松江を目指すことにする。

雨が次第に強くなり、もうカッパを着なきゃと思ったところに、スーパーがあって、ちょうど、駐輪場に屋根があるのが見えた。
そこで、着替えることにする。

時間もそろそろ昼で、スーパーで弁当を買う。特に、松江らしさはない普通のから揚げ弁当。
弁当を食べ終わって、カッパを着ていると、ばあちゃんがきて、大きなオートバイね。どこから来たの?熊本から。うぁ遠くから。雨も降ってきたら気を付けてねと言ってくれた。

なんとなく死んだばあちゃんを思い出す。。
走り出すと雨はすぐに止んだ。

ちぇっである。
だいたいこうしたもんだ。
雨も降らないのに完全武装したカッパバイカーが、国道9号線を爆走する。

松江市内に入ってもまだ雨は降らない。

松江城の看板が見えるが、なんか松江城に行きたくない。
すごく貴重なお城ではあるのだが、なんか気が進まない。もう一度行ったことがあるからか。けど、なんとなく行きたくない。

ということで、インスピレーションに従い行かないことに。こういうことができるのが一人旅の良さだ。

全部自分次第。成功も失敗も。
じゃあせっかくだから、代わりにべた踏み坂でも行ってみるかと調べてみると、なんと境港の方にあるらしい。
境港に行っておけば、行けたのだが、もう今更行く気はない。
まあ、これも仕方ない。

次の目的地というか、今回の旅の最後の観光地、出雲大社を目指す。
このころになると晴れ間が見えはじめる。

宍道湖の脇のコンビニでカッパを脱ぐ。
宍道湖を眺めながら、西へ向かう。

出雲大社は、30年前に来たはずだが、全然記憶にない。
すごい人出だ。

参道で4年ぶりという“餅投げ”をしていた。すごい人だかりだったが、偶然自分の方に投げてくれ、一つとることができた。ビニール袋に小さな餅が2つ入っていた。

お参りした。
縁結びにご利益があるとのことで、三人息子に良縁がありますようにと祈る。
お賽銭はポケットにあった20円。
これで叶うかな。

その後、散々迷った挙句、島根県立出雲歴史博物館に入る。伊弉諾伊弉冉の映画を見ながら寝てしまう。

見たかったのは、最近見つかったという出雲大社の神殿を支えていた柱と当時の神殿の模型である。神殿の柱はすごく大きかったが、平安時代の神殿の高さには諸説あるようだ。高さ48mとはびっくりだ。

出雲を出て、浜田市を目指す。穏やかな日本海を右手に眺めながら、軽快に進む。
この度も最終宿泊地に近づいている。
浜田に入り、このあたりかというところで、バイクを路肩に止め、スマホで調べていると、散歩中の老夫婦が話しかけてきた。

おばあちゃんの方が、「大きなオートバイねぇ。キャンプするの?」と話しかけてきた。「この近くに、石見海浜公園ってところがあるらしく、そこに泊まろうと思っている」というと、「あっ、それなら、この先、もうすぐよ」と教えてくれた。

じいちゃんは、「水族館もある」と教えてくれた。
このあたりは、いいところですねと話した。

石見海浜公園はすぐ近くで、敷地に入ると無料キャンプ場も必ず受付をという看板が出ており、管理棟へ行き、受付をする。
受付の人がすごく丁寧で、気持ちよい対応してもらった。

こっちは無料キャンプ場を使わせてもらうだけなのに。恐縮である。

説明してもらった駐車場にバイクを止め、まずサイトを確認する。
サイトまでは5分ほど歩くのが難点だが、サイトは広く、ほとんど人がいない。

もうゴールデンウィーク終盤だからか、明日は100%雨だからか?まあ、いい。

明日の雨も考慮し、少し遠いが、炊事棟の横の芝生にテントを張ることにする。
大学生らしい男女グループが、近くでバーベキューをしているが、彼らの装備から宿泊ではなさそうである。

夜には撤収するのだろう。

バイクに戻り、2往復して荷物を運び込む。
テントサイトは静かで、夕暮れの日本海が見える。

風が強い。念入りにペグを打つ。

夕食を買いに近くのスーパーに行く。
「石見特産さば寿司」とあり、半額シールが貼ってあったので、それとビールを購入。

日本海に沈む夕日を見ながら、さば寿司を食べる。
テントの中で、しばらく本を読むが、いつの間にか寝てしまう。

夜中、テントを揺らす風の音で何度か目を覚ます。

GW鳥取へ3日目~岡山総社から鳥取倉吉へ~

本日のルート

5:00に目を覚ます。
とても静かである。みんな寝ているのだろう。
テントを開ける。朝焼けの空が見える。
昨日、スーパーで買っておいたサンドイッチとコーヒーで朝食とする。
パッキングを済ませ、6:00出発

橋を渡ったすぐのところのコンビニでトイレ。
トイレのお礼に缶コーヒーを購入。
この辺りは地名が「溝口」というらしい。

鬼ノ城を目指す。
この鬼ノ城も山城で、狭い山道を頂上目指し登っていく。
緑が濃い。
栗の花の匂いする。
藤の花があざやかだ。

ほとんど頂上というところに駐車場があり、ここからは徒歩。
さらに20分ほど歩き、大きな楼門にでる。

鬼ノ城 楼門 なんかいい

眼下に総社の街並みが広がり、その向こうに瀬戸内の海が見える。
なぜ、こんな山の頂上に、こんな大きな城を築いたのだろうか。

なぜ、こんな大きな城を築く必要がったのだろうか。
こんなところに誰が攻めてくるというのだろう。
だれもいない楼門の下で、そんなことを考える。

ここからの眺めはなんとなく、当時のことをリアルに感じる。

山をおり、高梁市を目指す。
高梁川と並走するルートで高梁市を目指す。
国道の横を汽車が走り、なんとなく球磨川国道219号線を思い出す。

高梁市は山間の小さな町だった。
ずいぶん狭い土地のように思える。
まだ8:00過ぎで、備中松山城が開城するのが9:00とあるので、その前に高梁市をバイクで巡る。

安西水丸の「小さな城下町」に高梁市のことが書かれている。
ああ、これがそうかという感じでみることができる。

頼久寺の前で出た。
安西水丸の「小さな城下町」によると、小堀遠州の作庭した庭で有名なところだ。
備中松山城の前に見ておくかと入るが、ここも9:00からとのことで、見学できず。

ならばということで、まだ早いかもしれないが備中松山城にいくことに。
くねくねした山道をバイクで走る。
吉備国際大学という大学の脇を走る。学生の姿は見えない。

山を登っていくと石垣で組まれた段々の水田が現れた。

どの水田もすごく小さく、田植え前ではあるが、水をたたえ、朝日にキラキラ輝いている。
緑の山々の鮮やかさと相まって、大変美しい。
ずいぶん上ったところに、駐車場と土産物屋があった。
係員がいて、バイクはここに止めて、ここからはバスで上の駐車場まで行ってもらうと言った。往復でバス代が500円とのこと。

歩いても行けるが、片道45分ということで、仕方なくバスに乗る。うまい商売だ。
革ジャン、ブーツ野郎に選択肢はない。

10分ほどバスで山道を進むと小さな駐車場についた。ここから今度は歩きで、さらに
20分とのこと。

また、革ジャン、エンジニアブーツで山登りだ。

山登りばかりの今回の城廻り

はあはあ言いながら、山道を登っていくと、突如大きな石垣が現れる。
ようやく備中松山城に着いた。つつじの生け垣が見事だ。

山の中で突如、高石垣が!

眼下に高梁の町が見える

 

三の丸からは、眼下には高梁の街並みがよく見えた。
二の丸で、ようやく天守が見えた。小さな天守だが、非常にバランスが良いというか、美しい。

さいころから図鑑で見ていたあのお城だ。感慨深い。
なぜか植木のじいちゃん家でお城図鑑を眺めていた日曜の午後を思い出す。

日本で一番標高の高いところにある現存城とのことだが、内部もとても小さい。
小さいが展示物を読むと、非常に多くの人の手と思いがあって、現存していることがうかがえる。

念願叶った、備中松山城への登城

歴史とはそういうことかとつくづく思う。
普段は公開していない二重櫓も公開してあり、そちらも見学する。

あの有名な猫が、けだるそうに城門の脇で寝ている。
その周りに観光客が群がり写真を撮っている。

決して撮るもんか!

また歩いてバスのところまで戻り、バスで駐車場まで下る。
驚いたことに、さっきはほとんど人のいなかったバス亭に、バスの乗車待ちの観光客が長い列を作っている。
さっきの係員にすごい人ですねと話しかえると、このGWで1万人は来ますねということだった。

こんな山の中にすごい集客力だ。
人吉は何をしてるんだと思ってしまう。

高梁の町に下り、頼久寺に行く。
入り口でブーツを脱ぐ。
城や寺巡りでは、このブーツを脱いだり履いたりが結構ストレスだったりする。
仕方ないけど。

お寺の中に入り、縁側を進むと立派な庭が見えた。
これが小堀遠州の作庭した庭か。
小堀遠州のことは何も知らないけど、安西水丸の本に、すごいらしいことが書いてあった。安西水丸はあまり評価していないようだが。

お寺の縁側に座り、庭を見ながら説明の音声を聞く。

なんでも、この庭は蓬莱をイメージしてあるらしく、
つづじの生け垣がうねうねは波を表しているのだということで、石を組み合わせ、島を表現したり、カメを表現しているとのことだ。

頼久寺の庭

そういわれるとそう見える。
確かに庭を眺めていると、気分が落ち着いてくるから不思議だ。

もっとゆっくりしたかったが、先はまだ遠く、頼久寺の前の武家屋敷を覗いて、高梁の町を出る。
ちなみに武家屋敷は、男はつらいよにも登場したらしく、ひろしの実家という設定らしい。

良く晴れた午前中の青空の下、気持ちよい風に吹かれながら、高梁川の横をさらに北上する。

緑の山々が美しい。
何色もの緑が山を彩る。
栗の花の匂いが漂い、濃い緑に藤の紫がよく映える。
季節は5月。青空の中国山地

津山市は大きな街だった。ワークマンがあったので、手袋を購入する。
あまりいいのはなかった。とりあえず、溶接用のグレーのブタ皮手袋を購入。
ゴワゴワする。

津山城は町の中央あたりの小高い丘に建てられた平城だ。建造物はほとんど残っていないが、石垣はすごく立派で、大きい。規模的にかなり大きなお城だったのだろう。

津山城

天守閣跡からの眺め

天守跡に上り、津山の町を眺める。盆地である。お城はすごい人出。
吉良さんからラインが入る。
もう、伊勢にいるようだ。

不思議な感じだ。
互いにソロツーリングだが、なにか一緒に旅しているみたい。
君は東に、僕は西に。
そんな感じ。

この津山での失敗は、無料のバイク駐車場があったのに、有料の車用の駐車場にバイクを止めてしまったこと。600円。残念。

町を抜け、田舎道にでる。
田舎道を、ひたすら鳥取を目指す。

途中の小さなスーパーに入り、弁当を購入。
クレジットカード払い不可とのこと。
駐車場の木陰で食べる。
普通の弁当。別に津山らしさも鳥取っぽさもない。

どんどん標高が高くなり、峠にでる。中国山地分水嶺か。

峠を下ると鳥取だった。
鳥取に入って気付いたのは、車がすごく少ないということ、そしてほとんどの信号が黄色点滅ということだ。

黄色点滅で何の支障もないとは、なんとも素敵だ。気持ちいいスピードで快適に走り、あっという間に鳥取市内に入る。

市内はさすがに、黄色点滅でもなく、車も多かったが、気持ちよく流れ、鳥取城に到着。

安西水丸の本には何にもないと書いてあったが、なかなかどうして。立派な石垣である。天守等はなく、石垣のみだが、石垣の上から鳥取の低い街を眺めるものはとても気持ちがいい。

鳥取

ずいぶん暑い。ライダースを脱ぎ、Tシャツ1枚で木陰に入り、町を眺めながら、しばらくぼんやりする。

鳥取城から鳥取市の街を眺める

城の下の迎賓館を眺め、駅前の鳥取民芸博物館に行く。
安西水丸の本に出てきた。吉田しょうやの作った博物館だ。
博物館と言っても非常にこじんまりとし、小さい。受付に小さなお姉さんが静かに座っていた。
また、ここでもブーツを脱がなきゃならない。

民芸とはなんだろう。よくわからないが、なんとなく惹かれる。
有名な柳宗悦やバーナードショウの作品を見るが、好きか嫌いかしかわからない。
民芸とは気に入ったものを大切に使う、そういうことではないのかな。

隣の「たくみ工芸」で、目についた小皿を一枚購入。980円
使い道は特になさそうだが、絵柄がいい。
旅の記念として。

鳥取民芸博物館とたくみ工房

まだ、陽は高い。青島キャンプ場は当日宿泊はダメとことだったから、一気に倉吉市の大池野営場を目指すことにする。

鳥取砂丘も遠くないのだが、なんか気分が乗らない。なんとなく行きたくない。そういう時は、そのインスピレーションに従うべきだ。
パスである。

これがソロのよいところ。
自分だけの判断でよい。だれにも遠慮することも忖度することもない。
これを自由というじゃないのかな。

そういうことで、無料高速に乗り、一気に倉吉市へ。海沿いで風が強い。
大きな風力発電のプロペラがいくつも立っている。
日本海が、傾き始めた太陽を受け、静かにキラキラ光っている。

倉吉市に入ったころにはもうすっかり夕暮れになった。
通りにあったコンビニで夕食を購入。また、焼きそばとおにぎり、ビールだ。

大池野営場は、町からずいぶん離れた畑の中の大きなため池のほとりの小さなキャンプ場だった。
小さなキャンプ場だが、キャンパーは多く、テントでびっしりである。
大きなファミリーテントの隙間に、テントを立てていると、一人の外人が話しかけてきた。

自分もハーレーに乗っていると英語と片言の日本語のちゃんぽんで話した。
ロードキングの1800CCということだ。

奥さんが日本人で、今回は神戸の娘さんに会いに行くところいうことで、車できたということだった。昨日、今日とキャンプだが、明日は神戸だからホテルね、ということだった。

彼はスコットと名乗った。そして、なんと熊本在住だった。水前寺に住んでいるという。ビールを飲みながら、しばらく話す。
英会話教室の先生で、バンクーバー出身ということで、じゃあ、ブライアン・アダムスだねというと、彼は自分の父親の実家の隣に住んでいたということだった。互いに写真をとり、ラインを交換する。

何か、今回の旅はハーレー乗りとよく意気投合する。
吉良さんからもラインが入る。
ため池にかかる月がとてもきれいな夜だ。

大山池に浮かぶ月を眺める夜

夜中、隣のファミリーテントはどうやら中国人家族のようだったが、小さな子供が何度も夜泣きをして、そのたびに母親が大声で怒鳴った。
また、もう一方のテントでは、おっさんなのだろう、すごい鼾をかいている。

子供の泣き声よりも鼾が気になる。
仕方ない。アウトドアブームなのだ。

夜は賑やかに更けていく。

GW鳥取へ2日目~広島から岡山総社へ~

本日のルート

 

5時に目が覚める。外はまだ暗い。空気も冷たい。
バーナーでお湯を沸かし、コーヒーを淹れる。
いい天気になりそうな雰囲気。
気持ちの良い朝。

パッキングを終え、7時キラさんに別れの挨拶。ラインを交換し、バイクの写真を撮り、良い旅と言って、彼が出発するのを見送る。

キラさんのバイクと一緒に

彼が出発するのを見届け、さあ、出発しようとするとセルがキュルキュルいうだけで、エンジンがかからない。あれっ。何度もキュルキュルさせていると、ガッガッとなる。
まさか、バッテリーが上がったか。いやいや、でも回るのは回るから、もしかしたら、それ以外か。
落ち着け、落ち着けと、自分に言い聞かす。

ガソリンでかぶってしまっているし、自分を落ち着かせるために、コーヒーを淹れる。


再度、セルを回すが、ダメ。
ただ、まだ8時前。時間も早いし、30分後にもう一度挑戦。それでだめなら、チューリッヒだ。
気温も上がり、良い天気。絶好の朝なのに、動けない。なんてこった、である。
こんなところで。
さあ、これからどんな結末になるのか。

30分後、再挑戦。ダメ、さっきよりもセルの音が弱くなっている。
これはもうチューリッヒだ。スマホでWeb手続きをする。
30分待っても、チューリッヒから連絡がない。
心配になり電話をするが、それも混んでいるのかつながらない。
イライラしているとようやく電話がつながり、Web手続きはできているとのこと。GWで忙しいもう少し待ってくれとのこと。
結局、9時すぎにレッカー車が到着。ジャンプでかかればいいがということで、ジャンプするとあっさりかかる。電圧を図ってもらうと、ギリギリのところ。交換が安心でしょうねということ。
そう思う。
お礼を言って、まずはバッテリー交換のために、ネットで調べたバルコム広島を目指す。

バルコムは正規ディラーだから、純正バッテリーしかないだろう。値段は高いが仕方ない。旅を前に進めることが重要だと自分に言い聞かせるが、店まで行ってみると、なんとGWで休み。

ネット情報ウソばっかりである。
楽勝気分が一気にしぼむ。

店の前で、エンジンを切るわけにもいかず、バラバラ排気音を響かせながら、スマホで、営業している店を探すがない。カスタムショップは軒並み休み。レッドバロンにも電話するが、おいていないとのこと。八方ふさがりだ。
ただ、ナップスが海の方にあるようで、そこならもしかしてあるかも。

そこに望みを託し、少し距離があるようだが、行ってみることに。

なかったらどうしようと不安になる気持ちを精一杯抑え込み、
スマホを頼りに走っていると、通りに、ハーレーや国産アメリカンを並べたカスタムショップがあった。

サンモーターサイクルと看板があった。
店も小さいし、国産メインのところかな。ないだろうなと思い、一度は通過したが、いや、ないならないで、あるところを紹介してもらえるかもと思い直し、Uターンして店に行く。店長さんらしき人が店の前にいて、状況を説明すると、電圧を図ってくれて、うーん、交換します?在庫はあるけど、と言ってくれた。
その瞬間、緊張がスーッと解けていくのが分かった。お願いしますと即答し、初期充電の間、しばらく店内で待たせてもらうことに。

地獄で仏 サンモーターサイクルズ

初期充電が終わると、付け替えてくれるだけでなく、タイヤの空気を入れてくれたり、配線処理がまずいということで、タイラップで処理してくれたりしてくれた。メカニックは紫の長髪で無口な人だった。

代金はDYTONAのバッテリー代だけでいいということで、工賃もなしだった。店内にはすごいカスタム車が何台もあったし、スマホで調べてみると、いろいろやっているようである。当たりである。よかったぁ。
何度もお礼を言った。
出発のときには店長も無口な紫長髪のメカニックの人も店先まで出てきてくれて、見送ってくれた。

すごくいい気分で、広島の街を走りながら、ふと思った。もし、昨日、生もみじ饅頭を探しに、宮島方面へ走らなかったら、きっと昨日は安芸高田市の山奥のキャンプ場に行っただろう。そしたら、翌朝、バッテリーが上がって、交換しないといけなくなったら、どんな選択肢があったろうか。やはり広島市内を目指すしかないだろう。そう思うと、昨日失敗と思ったことが、そうではないのである。

やはり人生、塞翁が馬である。

国道54号に戻り、安芸高田市を目指す。
街を離れ、どんどん田舎道になるが、車も少なくなり、良い気分。ループ橋を超える。
安芸高田市は標高の高いところにある町のようであり、のどかなところだ。
山の緑が美しい。栗の花の匂いがする。

国道から高梁川を眺める

安芸高田市の歴史資料館に到着。郡山城は、ここから山を登る。
途中、毛利元就の墓をお参りして、頂上にある本丸を目指す。
案内板には、登山口と書いてある。

郡山城本丸を目指す 登山?

まさしく、登山というべき感じで、スティックが必要だ。雨吹山よりよっぽどきつい。
革ジャンを着て、エンジニアブーツで登るのはほんと、つらい。しばらく登ってようやく頂上に到着。

郡山城本丸

二の丸も三の丸も広く、あんな山の上なのに、立派な石垣が組んである。尾根のあちこちに櫓があったというから、山全体がお城である。
すさまじいと思う。さすが100名城に選ばれるだけのことはある。
こんなところまでだれが何のために攻めてくるというのだろう。

三好市に向かう。
途中の風景がのどかで、赤瓦の家の一つ一つがとても大きい。
敷地を塀でぐるっと囲っている屋敷が多いが、九州ではあまりそういうのはみない。
中国地方独特な感じがする。
それもお城みたいでイカス。

車も少なく、とても走りやすい。
天気も良い。

三次市の目的は「もののけミュージアム」だ。
展示品がさすがにすごい。
観光客も多い。
妖怪で人が集まるのだ。
この建物が人吉にあればなあ。
夏目友人帳ミュージアムできないかな。
自分のお土産に「稲生物怪録」を購入。

もののけミュージアム

ミュージアムのベンチに座り、スマホ総社市までのルートを確認する。
総社市の「水の楽校」という無料キャンプ場を目指す。

無料高速に乗る。
尾道までは無料なのがうれしい。ずいぶん時間の短縮になる。
夕暮れが近くなり、少し肌寒さを感じるようになる。
手袋をはめようと、路肩にバイクを止めるが、グローブが片方ないことに気付く。
どこかで落としたらしい。ずいぶん長く使っていたグローブだけに残念。
痛恨の極み。
尾道ジャンクションから山陽高速に入り、玉置ICおりる。
高梁川に沿って北上する。

「水の楽校」は高梁川の河川敷を無料キャンプ場として開放してあるところで、とても広いが、もうすでに多くのファミリーキャンパーでにぎわっている。
ソロキャンパーはあまりいない。
とても賑やかで、あちこちでバーベキューしている。

岡山県総社市 水の楽校キャンプ場

近くのスーパーに行き、半額になった弁当を購入。
すっかり日が暮れた中、テントの中から、高梁川の夕暮れを眺めながら夕食とする。

タフな1日であったが、なんとかここまで着いた。
正直ホッとした。

21:00、テントの中で、寝袋に入って、安西水丸の「小さな城下町」を読む。
どこからのグループがカラオケを歌っている。
やれやれである。

GW鳥取へ1日目~人吉から広島へ~

本日のコース

5:30、自宅を出発。
すでに夜は明けているが、まだ十分には明け切れていない。紫の時間。空気が冷たい。

インターの前のGSで満タンにして、高速に乗る。
走る車は少なく、快適なスピードで走れるが、とにかく空気が冷たい。
5月の朝って、こんなに寒かったか。
革ジャンのジッパーを首まで上げ、フェイスマスクをつける。

八代で高速をおり、松橋まで3号線を走り、松橋から再び高速に乗る。
エンジンの振動とマフラーからの排気音が心地よいが、寒い。

あまりの寒さに耐えきれず、託麻PAに入る。
自動販売機でホットコーヒーを探すが、アイスしかない。
荷物からバーナーを出して、コーヒーをドリップする元気もない。
ガタガタ震えながら、去年の春、ここで職場の旅行で、同僚と待ち合わせたのを思い出す。
あの時は、桜が満開に咲いていた。

久留米あたりで、少しずつ太陽の熱で空気があったまってきた。
冷えていた体に体温が戻る。

大宰府から都市高速で天神北まで行き、元祖長浜家に。
久しぶりの元祖。
いつも、ここからが旅のスタートだ。

3号線を北九州に向け、北上。
古賀で高速に入ろうか一瞬迷うが、パス。

天気も良く、気温も上がり、朝の寒さが嘘みたい。
革ジャンのジッパーを下げる。

小倉まで来たが、予定よりも時間がかかりすぎている。
また、去年みたいに門司で渋滞でもしていたら、大変ということで、
都市高速にのることに。北九州の街をワープする。
こんなことなら、黒崎から乗っておけばよかった。失敗。

都市高速をするすると走り、あっという間に門司へ。
門司からは、関門トンネルに入る。
関門トンネルの、この上は海なんだという感じがいい。

さあ、関門トンネル

12:30 山口に上陸。
長府のコンビニでラインを確認。
妻からラインがあり、おみやげに生もみじ饅頭を買ってきてとのこと

広島を目指し、国道2号線を北上。
青空の気持ちよい天気の中、山口をひた走る。

岩国に入り、バイパスに乗って市街地にいくか、国道を走り、高速に入るか迷ったが、高速にのろうとバイパスをパスしたのだが、ICのそばまで来て、いや生もみじ饅頭を買うなら、市街地に入り、宮島まで下道を行ったがよくないかと急遽思い直し、ICに入らず、市街地に向かう。
こんなことなら、最初からバイパスに入っておけばよかった。またも失敗。

錦帯橋を眺め、岩国城を山の上に臨みながら、国道2号線に入る。
海沿いの道が気持ちいいが、次第に車が多くなり、スピードが遅くなり、軽い渋滞が始まった。
気配も少し夕暮れを感じる。16:00。焦る。

今日の宿泊予定のキャンプ場まではまだかなりあるはずだ。
このまま宮島を目指せば、キャンプ場につく頃には夜になってしまう。
残念だが、宮島行は断念。
少し走り、高速に乗る。

高速に入ると、すぐに宮島SAがあった。
もしかして、ここのおみやげ売り場にあるかもと思い、SAに入ると、生もみじ饅頭が山積み。
こんなことなら、岩国で高速に乗ればよかった。またまた失敗。

判断ミスが続くが、これも一人旅の醍醐味である。すべて自分で判断し、その結果には自分で責任をもつ。この経験が仕事でも生きてくるのだ。そのトレーニングさ、と自分に言い聞かす。

とはいうものの、今日予定していた安芸高田市のキャンプ場まで行くのは、どうやら難しいようだ。まだかなり距離がある。1時間以上はかかるだろう。それに行っても入れるかは分からない。

それより、広島市内にある柳瀬キャンプ場なら、30分で行けそうだ。
今日は、ここにしよう。

そう決めて、夕暮れの中、広島ICでおり、広島の街を、安佐北区を目指して走る。
広島は大きな街だ。

街中至る所に、今度のサミットの周知案内。厳戒態勢になるんだろうな。

G7広島サミット 厳戒態勢になるのも仕方ないかも

 

信号停車中、隣の車線の車から男の子がじっとこちらを見ている。
手を振ると、ニコッと手を振り返してくれた。

山手の方に、広島文教女子大学の看板が見えた。
たしか、広島文教大学は、犬童さんや村山さんの通った大学じゃなかったかな。
へぇ、こんなところで、彼女たちは大学時代を過ごしたのかぁ。

太田川に沿って、山の方へ。
狭い道をくねくね回り、ようやくキャンプ場へ。
川の側の小さなキャンプ場だ。
車も少ない。利用者も少ない。設備もほぼないが、いい感じ。

野営地にはハーレー乗りが一人いた。

バイクを止め、荷解きをしていると、その男がやってきて、話しかけてきた。
横浜からきたということで、30代後半ぐらいだろうか。
話の感じからもナイスガイである。
テントを立てながら、しばらく話す。

今日の野営地 広島柳瀬キャンプ場

その後、夕食の買い出しに行く。スーパーは見つからず、仕方なくコンビニへ。ソロバイクツーリングの自分的定番メニューであるカップ焼きそばとおにぎり、ビールを購入。併せて明日の朝食用にパンも購入。

キャンプ場に戻り、さっきのハーレー乗りのところにビールをもっていき、一緒にビールを飲みながら、しばらく話す。
彼はキラと名乗った。横浜からで、初期エボにピーナツタンク。ペイントがかっこいい。

彼はビールのお礼と言って、ポテロングを開けてくれた。
2日前に、横浜から大雨の中、出発。昨日は姫路城を見て、今日は広島原爆資料館に行ってきた、明日は呉に行くつもりとのことだった。

1時間近く話して、テントに戻る。
カップ焼きそばとおにぎりを食べ、ビールを飲んで、本を読むとあっという間に寝てしまった。まだ9時前だったろう。

ファミリーキャンプの子供の声が聞こえていたような気がするが、よくわからない。

 

枕崎への旅2日目~枕崎から人吉へ~

本日のコース

朝は日の出前に、目を覚ます。
テントから出ると、東の空が赤く染まっている。
もうすぐ夜明けだ。
開聞岳が黒くシルエットに浮かぶ。

夜明け前の東の空 開聞岳が見える

コーヒーを沸かし、
コーヒーを飲みながら、しばらく陽が登るのを見ていた。
次第に赤く染まる東の空に、神々しくさえ感じる。
太陽の目覚める力強さ、エネルギーだ。

夜明け 光の道

それこそ、神話の時代の人々は、この光景に何を感じたのだろう。
太陽の熱を感じる。

陽が登り切るのを見届け、海におり、俺たちの大和のロケ地を見学し、出発する。
今日も一日、良い天気になりそうだ。

テントから見える東シナ海

吹上浜を目指す。
道も快適で、気持ちよく走れる。
バイクで走っていて、常々感じることのは、走っていて、自分にまとわりついているいろいろなもの、しがらみや悩みや疲れやなんやかなやが自然に剥がれ落ちていく感覚だ。
体がすっと軽くなっていくような気がする。
オートバイに乗る人なら分かる感覚ではないかな。


朝の澄み切った空気が気持ちよい。

視界が開け、海が見える。東シナ海だ。
吹上浜でしばらく海を眺めてぼんやりする。

吹上浜で休憩

そのあとは、ひたすら3号線を北上し、水俣に入り、芦北から人吉へ戻る。

たった1泊2日のショートトリップではあったが、長い旅をしたような充実感を得ることができた。


良い旅であった。

枕崎への旅1日目~指宿から枕崎へ~

本日のコース

昨夜は飲み会で9時30分ごろ帰宅。

それから、キャンプの準備、バイクへのキャリアの取り付けとボックスの取り付け。
12:00過ぎに寝る

今朝は9時に起床。やはり飲み会の疲れもあったのか。
まあ、そんな遠くに行くわけでもないのでいいや。

朝から良い天気。
朝食を食べ、準備をして10時に出発。

ループ橋を通り、えびの市へ。
青空に、韓国岳がよく見える。

国道を姶良目指して、南下。
田んぼの稲が黄金色に染まり、秋の柔らかな風を受けて、さわさわそよいでいる。
稲刈りをしている田んぼも多く、バイクに乗っていても、稲のにおいを感じる。
秋である。
見上げれば、澄み切った高い空。

昼近くになり、気温も上がったところで、ライダースを脱ぎ、Tシャツ1枚になる。
腕に当たる風が心地いい。

緩やかな峠のカーブを超えると、目の前に、桜島がいきなり顔を出す。
波のない穏やかな錦江湾桜島が薄く煙を吐きながら、浮かんでいる。
キラキラ光っている。

「我が胸のもゆる思いに比べれば、煙は薄し、桜島」、誰の言葉だっけ。
姶良の街を通りながら、そんなことを考える。
海沿いの道を南に向け、快調に走る。
風が心地よい。

磯庭園の前から桜島を望む

とはいうものの、鹿児島市内に近づくにつれ、車が増え、磯庭園の前はいつものとおり渋滞。やれやれである。気温も上がり、暑い。
10月の中旬なのにである。
いやこれが南国、薩摩だからか。

市内に入ると、鶴丸城跡に、大きな門が復元されていた。
いつできたのだろう。

最近、石垣だけでの城跡に風情を感じる。
とってつけたような復元城はうーんである。
まあ、いいけど。
天文館を通り、国道に出て、指宿を目指し、さらに南下する。

途中、産業道路に入ればよかったものの、入り損ね、谷山の狭い街中で、のろのろ進むことになり、時間をロス。残念。

平川動物公園、こちらという看板をパスし、国道と合流。

喜入の石油コンビナートを眺める。
喜入の石油コンビナートを見るたびに、小学校5年生の時の社会科見学を思い出す。

さらに南下。錦江湾に浮かぶ桜島が青空を背景に美しい。

14:00、指宿に入る。
ここからが今回の旅の一番の目的である。
菜の花マラソンコースの下見である。

出発地点まで行き、そこから、ネット上にあるコース図を見ながら、そのコースをバイクで走る。
こんなアップダウンがあるのか。事前情報として知ってはいたものの、想像以上である。アップとダウンしかない。
走れるか、不安は増すが、コースそのものは、畑の中や、池田湖のわき、開聞岳を真正面に見ながら走ったり、海沿いを走ったり、港の脇を走ったり、街中を走ったりとバラエティに富んだコースではある。

ただ、そのほとんどがアップとダウン。

指宿マラソンのコース 池田湖を過ぎると開聞岳が見てくる

バイクで走りながらも、42.195kmは遠い。
ゆっくり走りながらだったので、時間もかかり、ゴールまで戻った時には、16:00を過ぎていた。

コースのハードさを実感し、うーんと、なんとなく晴れない気持ちで、指宿を離れ、枕崎を目指す。
指宿から30km、意外と遠い。

そろそろ、夕方の気配。
西日を受けながら、九州の最南端の道を、西に向けて走る。
目の前に、西日を受けて、開聞岳が大きな円錐形のシルエットになっている。
神々しい感じさえする。

夕暮れの開聞岳を見ながら、枕崎を目指す

カーブでは、自分のバイクの影もシルエットになり、後ろに流れていく。
車は極端に少なく、いいペースで、気持ちよく走れる。
白波酒造の前は、芋焼酎くさい。
さすがである。

対向車線のバイクが挨拶をしてくれる。
風は柔らかく、日差しはやがて夕暮れを迎え、西の海がキラキラ光りはじめる。

枕崎に入ると、鰹節の匂いがした。
さすが、日本有数の生産地である。
あまい、しょうゆの、すこし生っぽい、焼いたような匂いだ。

港はすっかり夕暮れだが、なんとなく活気がある。

今日のキャンプ地の火の神キャンプ場に入る。

目の前は東シナ海で、海の崖の上の芝生のキャンプ場である。
目の前には、奇岩「立神岩」がそびえている。
海彦、山彦の神話の地であるという、由緒正しきキャンプ場である。
結構、広い。

しかし、満杯である。
駐車場も、フリーのテントサイトも、パンパンである。
また、テントがみんな、やたら巨大で、タープ付きである。ティピータイプの巨大なとんがりテントがやたら多い。流行っているのか?
そして、どのテントの前でも、焚火している。

ようやく端の方に、少し空いている場所を見つけた。
結構平地でよさそうだ。
隣は、ソロみたいだが、テントは巨大なティピーテントで、何本ものロープで固定されていた。
やはり焚火をしている。

火の粉が来ると困るので、なるべく間をあけてテントを張る。

テントを張っていると、よれよれのおじさんが近づいてきた。
京都から来たという。
出身が熊本で、ずっと京都に住んでいるのだが、熊本の両親の墓参りに来たということだったが、プロのキャンパーのように思えてならない。

バイクで近くのスーパーまで行き、買い出しをする。
カップ焼きそばとおにぎり、ビールを購入。

東シナ海の夕暮れを観ながら食べるシーフード(カップイカ焼きそば)のおいしいこと。
夜は、本を読みながら、いつのまにか寝てしまう。