僕の旅はまだまだ続く

ハーレーを中心とした旅の記録

天草世界遺産を学ぶ旅~2日目~

本日のルート

2日目 8月4日(金)

目を覚ましたのは6:00だった。
もう夜はすっかり明けていた。

テントから起き出すと、キャンプ場の一番奥に車が2台停まっていて、テントが2つ張ってあった。一見してサーファーだなと分かる数人の男女のグループで、もう撤収を始めていた。

彼らのテントの前を通り、トイレに行き、歯を磨く。
彼らが会釈をしてくれる。
僕も会釈する。物静かな人たちだ。

 

コーヒーを沸かす。
朝食代わりに、サッポロ一番の塩ラーメンにウインナーを入れ食べる。
朝からラーメンなんてとも思うが、これは塩ラーメンだからこそ成立すると個人的には思っている。それにウインナーを3本入れる。
サイコーまではいかないが、アリである。
朝ラーメン、お試しあれ。

朝食 サッポロ塩ラーメン

朝食を食べ、またコーヒーを飲み、本を読む。
ここでは、椎名誠の「新宿熱風どかどか団」というヤツ。
言ってはなんだが、こんな朝のぼっーとした時間に読むには最適だ。面白いけど。

今日も全然急ぐ旅程ではない。
のんびりとした夏の朝である。ラジオ体操していいぐらいだ。

本を読んでいると、さっきのサーファー団の車が2台連なって出ていった。
2台とも会釈して出ていった。
ナイスサーファーである。

その後もしばらく本を読み続ける。
乾いた風が適度に吹き、よい気持ち夏の朝である。

しばらくすると、1人のサーファーがやってきて、
「すいません。真木蔵人さん、来てませんでした?」と尋ねた。
真木蔵人?あの俳優の?」
「そうです」
「いやあ、わかんないですね。ただ、昨夜夜中遅く、車2台でサーファーの人が4~5人かな、きて、1時間前ぐらいに出ていきましたよ」と言うと、
「あっ、それだ」と彼は言って、しまったという顔をした。
「実は、今日、彼が天草で波乗りをするってんで、アテンドするように頼まれてたんですが、行き違いになったようですね」
「へぇ、あの人たちの中に、真木蔵人さんがいたんですね」
「そうなんですよ。いゃあ、ありがとうございました」と彼は、ニコッと笑顔で挨拶して行ってしまった。
サーファーって、なんかいい人多そうだな。

真木蔵人、久しぶりに聞いた名前だ。
僕らの世代には、ビッグネームだ。
しばらくテレビでは見ていないし、あのグループのだれが真木蔵人かはわからなったが、いい生き方をしてるよなぁ。

すっかり陽が登った9:30にようやく出発。
すっかり気温も上がってしまった。
海がキラキラしている。
海水浴場にももう人がたくさんいる。

今日は、まず崎津天主堂を目指す。世界遺産だ。
国道を海沿いに南下する。
右手に島原半島がすぐそばに見える。
南島原市あたりか。

海が大きく波打ち、白波が海岸を白く染める。
空はどこまでも青く、大きな積乱雲が浮かぶ。

天草西海岸の海

南下するにしたがい、海はより青く、より深い藍色になる。
日差しは強いが、バイクで走ると、暖かく乾いた風に包まれる。とてもよい気分。

下田温泉の天草夕焼け八景の一つというところで、東シナ海をバックに写真を撮る。

やがて、道は次第に山の中に入り、しばらく走っていると、山の中の小さな集落の中に、大きな白亜の天主堂が見えた。
すごく違和感のある組み合わせのはずなのに、まったく洋風の、その大きな白亜の天主堂は、山間の静かな風景の中に、なにかすごくしっくり溶け込んでいる。

農村に建つ大江天主堂

バイクを路肩に止め、スマホで調べてみると、それは大江天主堂であった。
「あれが大江天主堂か」思わず独り言を言ってしまう。
とても美しい。

天主堂の下にロザリオ館という資料館もあるようだ。
せっかくなので寄ってみる。
天草のキリスト教関連4施設通し券600円というのがあり、それを購入。

ロザリオ館の中に入ると、館長というネームプレートを付けた長身のおじさんが、シスター3人を含む10人ほどの団体にギャラリートークをしていた。

せっかくなので、そのグループにくっ付いて、館長の説明を聞きながら見学をしたが、その話がうまく、非常に軽妙な語りで、よく天草におけるキリスト教の歴史を知ることができた。シスターへのキリスト教ジョークには驚いた。

なぜ、この辺り一帯が世界歴史遺産群に指定されたのか、世界史的に、どんな稀有な歴史を育んできたのか、自分なりによくわかった。

その土地やその時代背景や、そこに生きた人々の生活や思いを知ると、急にその土地の歴史が色彩を帯びて感じる。

思いがけずロザリオ館に2時間近く滞在し、外に出て大江天主堂までバイクで移動する。見上げる天主堂の真っ白な建物とその後ろの真っ青な青空がまぶしい。

大江天主堂

建物の中は、祈りの空間であり、敬虔な場所であった。
九州の西の端の山の中に建つ、この天主堂に対する悠久からの人々の思いや願いに思いをはせる。

大江天主堂に別れを告げ、崎津を目指す。
海沿いの道を南下する。
海の青さ、山の緑。
なんと豊かな色彩なのだろう。
夏の乾いた風がひたすら心地よい。

やがて、河口が見え、小さな漁村が見えた。
その小さな漁村の真ん中にグレーの小さな天主堂があった。
それが崎津天主堂のようだ。

漁村に建つ崎津天主堂

本当に、どこにでもあるような鄙びた小さな漁村にこじんまりとグレーの天主堂の先端が見える。

不思議な光景であるが、ぎょぞんの風景にしっくりなじんでいる。
狭い路地のような道を入っていくと、小さな駐車場があり、そこにバイクを停める。

観光客の姿はあまり見えない。

崎津天主堂は、遠くから見ても大きくは見えなかったが、近くに行ってもやはり大きくはない。

大きくはないが、ほんと町になじんでいる。
そこにあるのが当然のような佇まいだ。
また、天主堂の全面はコンクリート造りなのに対して、後ろ部分は木造建築である。和洋折衷というより、資金面での工夫のようだが、なんともユニークだ。
内部も畳敷きで、びっくりしたが、畳敷きの教会に降り注ぐ、ステンドグラス越しの光が、不思議な空間を作り出している。

それにしても、畳敷きなので、エンジニアブーツを脱いだり履いたりするのに往生する。

向かいの資料館に行き、さっきの周遊券を見せる。
「どちらからですか」と係の人に聞かれ、

「すいません。人吉です」と答える。

すごく遠くに来た気分で観光しているが、同じ県内であり、なんか申し訳ない。

ここの係の人の説明もわかりやすく、崎津の歴史を学ぶことができた。
とてもいい施設だ。
こういう施設は人吉にはないよな。。

通りに出て、海沿いまで歩き、しばらく海と山と空を眺める。
緑色の深く穏やかな海を眺めながら、なんだかずっと昔に来たような気がする。

通りの突き当りにある神社に登り、崎津の町並みを眺める。
神社と教会と漁村と人々の暮らしが溶け込んでいる静かな祈りの漁村である。

神社から天主堂を眺める

崎津を離れ、コレジオ館を目指す。キリスト教関連施設周遊券の3つ目だ。

コレジオ館は、いわゆる当時のキリスト教の大学ということで、そんな学術施設がこの天草のこんな南の端の小さな町にあったとは驚きである。

資料によれば、あの伊藤マンショもここで学び、あのグーテンベルク印刷機もあったとか。これは見るしかない。

コレジオ館は、町役場の図書館みたいな建物で、あやうく通り過ぎるところだった。
クーラーも聞いていて、展示物も興味深く見学できた。


キリスト教が禁教になって、このコレジオが閉鎖され、ここで学んだ人々は、それぞれの人生をたどったというようなことが書いてあったが、その中に、僕と同じ性の人がいて、その人はマニラに行ったとのことだった。
同じ姓というだけだが、なんとなくその人のことに思いをはせる。

次に牛深を目指す。実は同じ熊本県民でありながら、まだ牛深に行ったことがなく、そのことを誰かに責められたことわけでもないが、馬本県民として、これまでそのことに対する罪悪感みたいなもやもやがずっとあった。

ようやく、その罪悪感から解放されるのだ。期待感が膨らむ。
ぎらぎらする日差しの中を、ひたすら南下する。
途中、あの有名な茂串海岸にも、エンジニアブーツでわざわざ寄ってみた。
海水浴客の中に、エンジニアブーツ野郎は明らかに場違いであった。

にわか雨がさあっと降り、すぐにやんだ。
熱帯の土地みたいだ。

牛深ハイヤ橋を渡り、町中の有名なちゃんぽん屋に行こうとしたが、昼休憩で閉まっていた。

牛深ハイヤ橋を渡る

町をブラブラ走ってみたが、どこを見るべきかもよく分からず、あっという間に通過し、牛深を出てしまった。

なんとなく物足りないが、まあいいか。
ハイヤ祭りの時に一度来てみたいな。

牛深訪問達成である。

そのまま国道を北上し、本渡を目指す。
ずっと山道を走る。
途中、亀川ダムを眺め、イオンを通り過ぎ、本渡に入る。

今日最後の観光施設、天草キリシタン館に行く。
キリスト教関連施設周遊券の4つ目。これでコンプリートである。

市街から坂道を上り、小高い丘の上に天草キリシタン館はあった。
天草キリシタン館の前の駐車場にバイクを停める。
小高い丘からは、本渡の街が一望でき、海も遠くまで見通せる。
素晴らしいロケ―ションだ。

天草キリシタン館から本渡の町を眺める

建物の中には、あまり人はいなかったが、クーラーがとても気持ちよく効いていた。ちょうど、あの日本史の教科書で見る島原の乱での天草の陣中旗の実物が、期間限定として特別展示してあった。

綸子地著色聖体秘蹟図指物(りんずじちゃくしょくせいたいひせきずさしもの)
(天草四郎陣中旗) / 天草市 (city.amakusa.kumamoto.jp)

本物である。
間近で見ると、血の跡が見える。本当に島原の乱で使われたのだ。
正直、ここ本渡に、その本物があるとは知らなかった。

すごいものを見ることができた。
これが数年前までは、これが福岡の個人蔵だったというから驚きだ。
こんなものを個人で所有するというのはどんな気分なのだろう。

陣中旗の入ったガラスのケースの前で、小さな男の兄弟を連れたお母さんが、小さな声で、子供に説明している。

今日一日で、キリスト教関連施設を4つ巡った。まるで社会科見学のようなツーリングだった。天草の歴史をすごく身近に感じることができたし、世界遺産に選ばれたその歴史、ストーリーを知ることができた。

外に出ると、日差しが少し弱くなっていた。陽が傾き始め、夕方の柔らかい風が少し吹いていた。

さあ、では、今日のキャンプ場に行こうということで、スマホで、場所を確認する。
若宮公園キャンプ場というところにする。

本渡市を、北に進み、20分ほどで若宮公園キャンプ場につく。
無料であるが、海沿いの全面芝生のキャンプ場のようだ。

やはりもうキャンプブームは終わったのか。
ここにもほとんど人がいない。1人、ソロキャンパーがいるだけだ。
1人なのに、すごく重装備で、何でもそろってそうである。

なので、その人からなるべく離れたところにテントを張る。
静かだ。
目の前は海水浴もできる浜辺のようで、親子が浮き輪で遊んでいる。

陽が暮れる前に、夕食を買いに、近くのスーパーに行く。
ソロキャンパーは炭火で肉を焼いているようだ。
暑そう。

夕日に染まる海水浴場の親子をシルエットで眺めながら、スーパーで買ってきたレタス巻とビールを食べる。
夏だなぁ。
親子を見ながら、大きくなった息子たちと過ごした夏を、なんとなく遠くに思い出す。

夕陽の海岸を眺めながらのビールと夕食

夕食を食べ終わると、テントに潜り込み、しばらくヘッドライトの明かりで本を読みながら、ウイスキーを飲む。
夜はムーンロードが見えた。

テントから眺める夏のムーンロード

時折、遠くでフェリーの汽笛が聞こえる。