僕の旅はまだまだ続く

ハーレーを中心とした旅の記録

臼杵川を渡れば2日目

本日のルート

朝は7時に目を覚ます。
ぐっすり眠った。
ホテルの朝食を食べ、臼杵観光に出発。

川沿いの道を歩き、臼杵城に行く。
臼杵城の前で、中学生らしき女のことが、自転車と一緒に立っていた。部活動に行くところで、友達を待っているような雰囲気だった。
ふと目が合うと、にこっと笑顔で会釈してくれた。
これだけで、観光客は、その町のことを好きになるのだ。

臼杵が何かそのあたりに力を入れているかは知らないが、人吉はぜひ、こうした点に力を入れるべきではないか。ハードパワーがないなら、ソフトパワーをつかうしかない。挨拶や笑顔は無料でできるし。
そんなことを考えながら、城山を上る。

臼杵城 早春武の作者が臼杵出身とのこと

臼杵城は小さな城で、天守閣はなく、本丸には神社が建っていて、二の丸では、老人たちがゲートボールをしていた。本丸からは臼杵の町が一望できた。

臼杵城の大手門

本丸からの眺め

歴史と文化と産業をぎゅっと凝縮したような町という印象だ。

ホテルに戻り、チェックアウトし、駅前のベンチで、これからのルートを考える。
臼杵石仏を見学し、国道10号線を南下してくことにする。

臼杵石仏も久しぶりだった。
石仏の補修がすっかり出来上がっているのには驚いた。

臼杵の大仏 以前来た時には、首は下に置いてあった

 

植木のじいちゃん家のテレビの上に、臼杵石仏の頭の置物がずっと置いてあった。
ここに来るたびに思い出す。

通り道に合った農家直売所で、大分名物カボスを購入。
一袋100円と200円のがあり、やっぱり100円と200円では味がずいぶん違うんですか?と尋ねると、どっちも一緒よ、とばあちゃんは答える。
いろいろ思うところはあったが、じゃあということで、100円のを2袋買う。
これがお土産。

 

それからは、国道はひたすら山の中になり、山の中、川の側を通りながら、延岡に出る。
今日も暑くて暑くて仕方ない。

延岡へ向かう道

延岡のコンビニで、今日もガリガリ君を買う。

延岡を抜け、しばらく走ると、おぐらの看板が見えた。
そういえば、まだ、昼食を食べていないということで、入店。チキン南蛮を食べる。
おいしい。さすが、本場のチキン南蛮だ。チキンがふわふわ。

おぐらのチキン南蛮

さらに南下する。
車は多くはなく、気持ちよいスピードで走れるが、ひたすらまっすぐ、暑い日差しの中、道なりに走るだけでの道は、それなりにつらい。

しかし、時折見える海はとてもいい。
フェニックス越しに見える太平洋は、まさにここが南国だと感じさせる。

まるで鈴木英人のイラストのようだ。

日南の海とフェニックス

定期的にコンビニに入り、水を飲み、アイスで冷却する。
黒いタオルを顔に巻き、黒いヘルメットとサングラスでという100%不審な感じで、南国宮崎をさらに南下する。

宮崎から小林に入ったあたりでは、もうおしりも痛くなり、暑さとおしりで、ぼぉーとしてくる。

自宅に戻ったのは、夕方だった。

ガレージで荷物をほどきながら、もう一度、「臼杵川を渡れば」を聴く。
いい夏の思い出である。

臼杵川を渡れば1日目

本日のルート

朝4:30に人吉を出発。
まだ、夜明け前。暗い。

高速はトラックばかり。

ガソリン満タン、さあ、出発

坂本SAぐらいで夜が白み始めるが、紫のハイウェイは見られず、曇天の空模様。

通り慣れた九州道ををひたすら北上。
大宰府ICでおり、都市高速には乗らず、3号線を走り、博多を目指す。

しかし、平日の朝のラッシュ時になってしまい、渋滞。
仕方なく、他のバイクの真似をして、すり抜ける。
さすが博多も大都会。
しばらく振りとは言え、渋滞を忘れていた自分が恨めしい・・。

8時に長浜到着。人はあまり多くはないが、久しぶりに来た長浜家には、オリジナルグッズが売られていてびっくり。思わず買いそうになるが我慢。
カタを注文。これを食べなきゃ旅は始まらない。

3号線を北上し、貝塚から飯塚を目指す。
トラック専用道路課と思うぐらい、道はトラックでびっしり。
すり抜けながら、なんとか走る。
福岡IC入口を抜けると、トラックの数が激減し、走りやすくなる。

笹栗でコンビニに入り、しばらく休憩。
青空が見えてくる。
いい天気になりそうな予感。

しばらく山の中を走ると、飯塚の町が見えてきた。
大学生の頃、バイトで来たことがあったが、その頃の印象とは違い、天気のせいもあるかもしれないが、明るく開放的なきれいな町に見えた。

スタンドでガソリンを入れ、田川を通って、行橋を目指す。
このころになると、ひたすら暑い。
肌がじりじり焼けるのがわかる。
ひりひりする。

行橋からは国道10号線に入り、南下する。
コンビニで休憩、水をがぶ飲みする。

中津市で昼食。名物の唐揚げを購入し、近くの公園の木陰で食べる。
よこづなというお店。

中津の唐揚げ屋

ほんと、中津はどこにでも唐揚げ屋がある。
中津城は以前行ったことがあるので、今回はパス。
福沢諭吉の実家にも、行こうかなと思ったが、以前行ったのでパス。
コンビニでがりがり君を購入。
染み入るようにおいしい。

臼杵へ向け再スタート。
宇佐が近づくにつれ、宇佐神宮の表示が出て来るようになった。
宇佐も、以前行ったので、今回は行くつもりはなかったが、表示が近くづくにつれ、行きたくなる。
これも縁ということで、寄ることに。
駐車場代100円を払って、神社へ。
川をいくつか渡り、境内に入る。
境内に入った瞬間、やはり空気が変わるのを感じる。
とても広い。
ひんやりとした森を本殿に向かってかなり歩く。

宇佐神宮

エンジニアブーツでは正直きついが、仕方ない。
玉砂利を踏みしめながら歩く。
本殿では、家族の健康を祈願しながらお賽銭を入れる。

宇佐の町は、工事用トラックが多く、何か埃っぽい。
山肌に「USA」と大きな看板が立っている。

国道10号線

このあたりの国道10号線は、道は狭く、車は多く、天気は暑く、つらい。
つい、うとうとする自分に、はっと気づいてびっくりする。
危ない、危ない。
集中、集中。

なかなか、距離を稼ぐことができず、ちょっと焦り始めたころ、ようやく別府の海が見える。

繁華街を抜け、海沿いの道を走る。景色も風も気持ちいい。
別府マラソンのコースだ。
そこから、さらに南下。大分を目指す。

大分を抜け、高速を使うか、下道を行くか、迷うが、下道を選択。
もう小学生が下校しているのが見える。
道がどんどん山道になっていく。

多分どこかで間違えたようだが、臼杵はこちらの看板はある。
これでいいのか。これでいいのかと何度も自問しながら、山道をくねくね進むと、ようやく臼杵の町が見えてきた。

のどかな山付きの集落にでた。
川が流れている。
護岸していない、いい川だ。

しばらく臼杵の市街地を目指して走ると、突然、フンドーキンの大きな看板が見え、大きな川を渡った。今回の旅の最大の目的地、臼杵川だ。

臼杵川とフンドーキン

大学生だった頃、ひまわりという女性3人組のグループが「臼杵川を渡れば」という曲を出した。フンドーキンのテーマソングということだった。

どういういきさつだったか覚えていないが、イムズであったミニコンサートみたいなものにも行ったような気がする。シングルCDも持っていた。

当時もすごくローカルなグループだと認識していたし、曲もヒットなんかしなかったと思うが、なんとなく、自分の琴線に引っかかる曲だった。

遠い夏を思い出させるような、ノスタルジックな曲だった。

それを、最近、YouTubeで見つけ、久しぶりに聞いた。
YouTubeでは、フンドーキンのCMもあった。
美保純が主人公役だった。
いずれにしても、ずいぶん昔の曲であり、CMであったが、急にあの頃の感情を思い出した。
たまらなく臼杵に行きたくなった。
曲に出てくる臼杵川を実際に渡ってみたかったし、臼杵川を渡る風を感じたかった。
その臼杵川を、今渡ったのだ。

とりあえず、今日泊まるホテルを探した。
駅前で、すぐに見つかった。
チェックインし、風呂に入り、さっぱりして、ジーンズとブーツを、半ズボンとスニーカーに変え、臼杵の町へ出た。

昼間の太陽の光はずいぶんなりを潜め、柔らかくなっていたが、まだ夕暮れというには早く、日が沈むまでにはもうしばらく時間がありそうだ。

近くのコンビニでビールを2本買い、臼杵川に向かった。
堤防に腰掛け、ビールを飲む。
スマホで「臼杵川を渡れば」を聴く。

川面を渡る風が心地よい。

臼杵川の橋の上から

フンドーキンの看板を見ながら、歌詞に思いをはせる。
橋のたもとに移動し、ずっと立って、橋を渡る車や人を眺める。
橋を渡る車や人を眺めながら、いろんなことを考えた。
自分のこと、家族のこと、自分の周りにいる人のこと、これからの未来。
すごく落ち着いた気分だった。
1時間近く、そうしていた。

夕暮れが近くなり、町を散策することにした。
古い歴史的な建物が多く残っている町だ。

臼杵の町並み

臼杵の町並み この場所はフンドーキンのCMに登場していた

 

暗くなるまであちこち動き回った。
ホテルに戻ったのは、すっかり日が暮れてからだった。
夕食付きのプランだったのでレストランで、夕食をとる。
ここでも唐揚げである。

大浴場に入る。
風呂上がりに、またビールを飲んで、そのまま就寝。

山口への旅3日目~人吉へ~

 

本日のコース

朝5時に目を覚ます。
昨夜は風が強かった。
標高が高いせいか、少し寒い。眼下に見える町が朝もやで幻想的に見える。
ファミリーキャンパーのテントはみんな寝ているのだろう。
ソロキャンパーはもう起きて出発の準備をしている。

コーヒーを飲みながら、今日のルートを確認する。
津和野に戻り、国道9号線で山口市内へ。
そこから西へ向かい、国道2号線で下関へ。このルートで行こう。
朝食に、袋入りのインスタントラーメンとおにぎりを食べる。

札幌から来たという隼乗りのおじさんとしばらく話す。
昨日は角島に行ってきた、今日は下関からフェリーに乗るということだった。
お互い気を付けていきましょうと話し、別れる。
パッキングを済ませ、7時に出発。

国道9号線にて

朝のひんやりする空気の中を、国道9号線で西を目指す。
まだ朝早いせいか、車がほとんど走っていない。
エグゾーストの乾いた音が山間に響く。
眼下には、日本の原風景というべき風景が広がっている。

赤瓦の家々

それにしても、ガソリンスタンドがない。
山口市まで33kmという道路標示。
フュ―エルメーターはすでにレッドゾーン。
多分、33kmは行けるとは思うけど、この田舎のアップダウンの激しい一本道で、もしガス欠になったとしたら、ゾッとする。

阿東町に入っても、阿東町を過ぎても1件もない。
うーん、困った。また、ドキドキだ。
そのうち、大きな峠に出た。
頂上まではかなり上った。かなりガソリンも消費しただろう。
しかし、あとは下るだけだ。
下ったら、山口市内だろう。
エンジンは切って、ニュートラでずっと下る。
結構な下り坂なので、ニュートラでも60kmは出る。
なんとか持てよ、とハーレーに言い聞かす。
ふもとにつくと、すぐに大きなバイパスに合流した。
なんかありそうな予感と思いつつ、エンジンをかけ走り出すと、すぐに発見。
あったー、である。
さっそく給油。満タン。ホッと一安心である。

気持ちもおだやかにしばらく走ると雪舟の庭という看板が出てきた。
安心して、穏やかな気持ちになったついでに寄ってみることに。
お寺は大きくもなく、小さくもないが、本堂の裏に大きな庭があり、これを雪舟が作ったとのこと。拝観料300円。
縁側に座り、庭を眺める。朝の温かくなってきた晴天の中、薄暗い本堂の縁側から庭を眺めると、気持ちが落ち着く感じがとても心地よい。
ただ、雪舟と言えば、室町時代、1400年から1500年ぐらいか。そんな昔の庭がずっと続いているのか?すごい。お寺の説明には、石の配置がどうのこうの、石をあえて立てることで、何とかと書いてある。
まあ、珍しいものを見せてもらった。感謝である。

雪舟の庭

再び走り出すと、瑠璃光寺こちらの表示。国宝とある。ぜひこれは見ておきたいということで立ち寄る。
これはすごかった。文句なしにこれは自分でも国宝に指定する。まず何といってもたたずまいが美しい。これを日本の美と言わずして、何を言わんかである。圧倒される。どれだけ見ていても見飽きない。
さすが山口、西の都である。しかも無料だし。お礼に本堂に50円のお賽銭を入れ、旅の無事を祈願する。

瑠璃光寺五重塔

山口はほんと、道がよい。政治家が多いとこういうメリットがあるんだとつくづく感じる。高速かと思うバイパスばかりで、ぐんぐん距離が稼げる。

11時30分に下関着。
110円払って、関門トンネルへ。今度晴れた時には、関門海峡を橋で渡りたくもある。
すぐに、門司着。ただいま、九州である。
もうずいぶんひがたかくなり、気温も上がってきた。24度と表示あり。
道は幸いなことに混んではいるものの、行き道のような渋滞はない。

3号線をひたすら南下。
宗像のコンビニでこの度で初めてライダースを脱ぐ。暑い。ペットボトルの水をぐびぐび飲む。

14時30分 長浜着。かたを食べる。
これで長浜ラーメンともしばしのお別れ。
次はいつ食べれるだろう。

まだ時間も早いことから、都市高速には乗らず、下道を南下することに。
久しぶりに渡辺通りを走る。
イムズがない。ユーテクもない。ずいぶん前からなかったけど。知っている店がすっかりなくなっている。展開が早い。
寂しくなる。予備校の頃毎日通っていたのに。

3号線に入り、さらに南下。
大宰府を越え、調子に乗って鳥栖も越え、久留米から高速に乗る。
GWで車が多い。下りはそんなことはないが、上りは常に渋滞ぎみ。
東に帰る人は大変だ。
GWももうすぐ終わる。

とはいうものの自分も、もうお尻が痛い。
左手もパンパン。
とにかく、あと少し。
集中力を切らさないように、それだけを考え、走る。

そうは思いながらも、ぼんやりしていたのだろう、松橋で降りるつもりがおり忘れる。
八代ICでおりろうとすると、検問しているのが見えた。シートベルトとは思うが、委託もない腹を探られても嫌なので、急遽パス。
九州道に入り、芦北ICで降りる。

夕暮れが国道219号線に、バイクになった自分のシルエットを映し出す。
頭の中で、恒例の旅のエンディング曲、泉谷しげるの「旅から帰る男」が流れる。

19時、人吉着。
無事帰宅。
感謝。
本日の走行距離429km

山口への旅2日目~萩、津和野へ~

本日のコース

朝は5時に目が覚める。
しっかり寝たなあと感じる。昨夜は9時前には寝てしまったから、当然か。

朝の海はとても静かで、波もなく、淡いオレンジ色に染まっている。
漁船がポンポンと音を立てて、静かな海をすべるように走っていく。
砂浜で、一人男性が投げ釣りをしている。

炊事棟で歯を磨き、顔を洗う。
海を眺める。
今日もいい天気になりそうだ。

7時出発。
長門の街はまあ田舎で、人吉とそう大差ない、小さな地方都市だった。
この町でアンジーのメンバーは育ったのかと思うと感慨深い。
アンジーヒソカをレコーディングしたという大寧寺に行く。禅寺。
歴史ある大きなお寺だった。

大寧寺にて

長門市内の駅や市役所、高校などをめぐる。
町の人にアンジーのことを聞きたいと思ったが、人吉で観光客からウッチャンのことを聞かれても何も答えることがないのと同じように、いやそれ以上に何も迷惑だろうということが容易に想像されるため断念。
とは言え、アンジーの生まれ育った町に行く、これは今回の大きなテーマであったから、まあ満足。


金子みすず記念館はパス。
青海島を眺めつつ、海沿いの道を走り、長門を離れる。

 

気温も上がり、とても気持ち良い朝。19度と表示。
道もよく、車は少なく、気持ちよいスピードで走る。
左手に海、右手は山。
澄み渡る青空。
頭の中では、奥田民生の「イージューライダー」が流れる。
良い気分。
萩を目指す。

萩はさすがに歴史の街だ。
町の規模の厚みも人も、人吉とは比べものにならない。
これだけのコンテンツがそろった町なら観光でもやっていけるのだろう。
とても美しい町だ。

久しぶりに萩城に登る。
30年前は、お城の前のユースホステルに泊った。
天守閣跡の下のベンチで、お湯を沸かし、コーヒーを淹れる。
心が落ち着く。

萩城跡でコーヒー

萩歴史博物館に行く。
伊勢戸さんの先輩が館長ということだった。
併設しているカフェで、夏みかんソフトクリームを食べる。

菊が浜に行き、しばらく海を眺める。
ずっと昔、家族旅行で萩に来たことを思い出す。
萩グランドホテルに泊まった。

松陰神社は今回はパスすることにし、津和野を目指す。
山間の穏やかな田舎の、中国地方独特の赤瓦の家々が並ぶ集落を眺めながら、走る。
ゆるやかなワインディングロードで、車も少なく、気持ちよく走る。
新緑の山の木々が美しい。
栗の木の匂いがする。
そういう季節なのだ。
悪くない。
どこまでも走っていけそうな気がする。

時折すれ違うバイカーと挨拶を交わしながら、津和野を目指す。

津和野へ

14時に津和野の町中に入る。津和野もすごい観光地のようで、町中いたるところ人ばかりで、道路は渋滞。GWだからか、すごくしっとりとした山陰の小京都というイメージではなかった。
人吉は、GWでもしっとりとした九州の小京都だが・・・。
あまり人が多いので、町の観光メインストリートであるあの鯉の泳ぐ

散策は後にして、先にお城に行くことにする。

この津和野城がまた立派な山城で、歩いて1時間無料、リフト5分700円と判断が必要。
革ジャン、ブーツ野郎には、後者しか選択肢がない。
リフトに揺られ頂上近くまでいくが、そこからはまた20分ぐらい歩く。
仕方ない。
頂上には立派な石垣がきれいに残り、当時の威容を感じさせる。

津和野城跡からの眺め

眼下には、箱庭のような津和野の町が見える。赤瓦の家々が美しい。
津和野はSLが走っているらしく、ボーっという汽笛の音が山間にこだまする。
SLの姿は見えない。
遠くまできたなあと思う。
風が気持ちよい。

津和野の町に戻り、川岸にバイクを止め、町を散策する。
人も多いが、鯉も多い。
もう少し、人の少ない時間や季節にくるべきところかな。

殿町通り

16時になったところで、今日の宿泊予定地、枕瀬山キャンプ場に向かう。
津和野から益田の中間点ぐらいの山の上にあるキャンプ場で、そこに行くまでが細い山道をくねくね登らなければならず、往生した。
キャンプ場につくと、とても小さいところで、コテージもあった。500円。

テントを張り、近くの町まで行き、スーパーを探すが見つからず、コンビニで弁当とビールを買う。山間のキャンプ場で日が暮れるのも早い。

枕瀬山キャンプ場からの眺め

ファミリーキャンパーの焚火を遠くから眺めながら、ああ、ここは島根なんだなとぼんやり思う。

今日の走行距離149km

山口への旅1日目~長門へ~

本日のコース

朝、5時に目を覚ます。
割とすっきりした目覚め。
テレビではキャスターが、GW期間中は、視聴率が通常の40%まで落ち込みますと話している。
バイクに荷物を括り付け、ガレージからバイクを出す。

朝の冷たい空気の中、晴れる予感を感じつつも、ライダースのジッパーを襟元まで引っ張り上げる。6時30分出発。

いざ、出発

 

ICに入る直前で、キュキュと金属のこすれる音に気付く。
この前修理したフロントフェンダーが割れて、補修用として取り付けた金属プレートと干渉しているんじゃないか。

それならば、プレートかフェンダーの金属部分がタイヤと接触して、走行中、タイヤがバーストしやしないか。

どうしよう。いったん、家に戻るか。
いやまだ、そうときまったわけじゃないし。
頭の中で考えが錯綜する。

とりあえず、山江SAまで行ってみようと、ICのゲートをくぐる。
嫌なスタートだ。

走り出すと、キュキュと金属のこすれる音はしたり、しなかったりで、何か段差があったときにでるような気がする。

山江SAに入り、とりあえず、フロントフェンダーを確認するが、確かに金属プレートのねじがなくなっているが、タイヤに干渉していたような形跡はない。

このまま、八代ICまで行ってみることにして、再びスタート。
走りながらも、金属音のことばかり気になって仕方ない。

走行の際に、引っかかるような感じはしないが、断続的に、キュキュと音がする。
何とか無事に八代ICまではたどり着き、国道3号線に入り、最初のコンビニの駐車場で工具を出し、フロントフェンダーを外す。フロントフェンダーは荷物に括り付け、出発。

これでバーストの心配はないと安心したのもつかの間、やはり、断続的に、キュキュと金属のこすれる音がする。

キャリパーか?ブレーキ―パッドか?パッドの残量はどうだったか?
原因をいろいろ考えながら走る。
全然気持ちよくない。

いっそのこと、ここで旅をやめるか、そんなことを考えてしまう。
松橋ICに入る前に、コンビニに止まり、再度フロントタイヤ周りを確認する。
タイヤは重くないし、キャリパーも何かをひきづっているわけではない。
ねじも緩んでいない。
原因が分からない。

ええい、考えてもわからない、このまま行ってしまえ、一か八かだということで高速にのる。
これでもう引き返せない。
何かあったら大ごとだ。覚悟はする。

走りながらも、断続的に、キュキュと音はするものの、順調ではある。
気持ちは穏やかではない。

それにしても、GWだからか車が多い。
託麻PAで休憩。
3月に職員旅行の際、立ち寄ったところだ。
あの時は桜が満開だった。

バイクを降りるとき、ふとフロントフォークが目に入った。フロントチューブのカバーに深い傷が入っており、カバーの内側に向かってくぼんでいる。

これだ、これが原因だ。

カバーが内側に向かってくぼんで、それがフロントフォークに当たって、フロントフォークをカバーが削るような感じで音がしていたに違いない。

多分、フロントフェンダーに付けていたねじが外れて、カバーに当たって、くぼんだのだろう。

さっそく工具を取り出し、干渉しているところをバイナスドライバーやペンチでごじり、持ち上げる。不格好だが、干渉しないようできた。

これで大丈夫なはずだ。

6:30に出発して、今が9:00
ずいぶん遅くなったが、さあ、気を取り直して再出発。
もう音はしない。これで大丈夫だ。


大宰府からは都市高速に乗るが、交通事故があったみたいで渋滞。仕方なく下道におり、福岡に入る。
大幅な時間のロス。

で、元祖長浜家に行き、かたを食べる。11時30分。
予定よりずいぶん遅くなっている。

国道3号線を北上し、古賀でガソリン給油。
車が多い。
クラッチを握る左手がもうつらくなってきた。

赤間のコンビニでコーヒー休憩。もう13時30分。
この調子で行くと、門司につくのもかなり遅くなりそう。

遠賀川を渡り、水巻町を抜け、八幡西に入る。
左手に八幡製鉄の巨大な工場を眺める。なんとなく爆裂都市のセルナンバー8が頭の中で流れる。

なんとか小倉までたどり着き、門司に向かう。
門司まであと7kmという地点で渋滞に捕まる。
片側一車線で上りがまったく動かない。左側に気を付けてすり抜けて進む。
すり抜けなんてみっともないことは重々承知だが、背に腹は代えられない。もうクラッチの引きすぎで、左手が痛い。

15時にようやく門司に入り、関門トンネルを通り、九州脱出。

下関の市街地から国道191号線に入る。
下関は思ったよりも大きな街で、対岸の門司がすぐ近くに見える。
下関は、大学の先輩の渋沢さんの出身地だ。
元気かな。
もう全然会っていないけど。

彦島を眺めながら、下関バイパスに入る。
とても広い道路。さすが安倍総理のお膝元。
そういうことだろう。
海を眺めながら、気持ちよく走る。
ライダーも多い。
少し、日差しが傾いてきた。
まだ、長門まではずいぶんありそうだ。

日本海

道は小さな港をいくつも通り、海の見える岬を何度も越えて続いていく。
日本海は穏やかだ。
ようやく長門に入ったのは5時を過ぎてから。

スーパーで夕食を購入。

今日の宿泊地、長門市の二位の浜キャンプ場は、海水浴場の一角にある無料キャンプ場で、町からは水分遠い。
静かなところだが、キャンパーは多い。
ほとんどが地元のファミリーキャンパーのようで、ソロは少なそう。

福岡から来たという2人組と少し話す。

日本海に沈みゆく太陽を眺めながら、夕食のインスタントラーメンを食べ、ビールを飲む。
浜辺では女の子が楽しそうに遊んでいる。
波はなく、風もない。

ピンク色に染まる日本海
遠くで、どこかのファミリーキャンパーの流す、ポールアンカのダイアナが聞こえる。

長門 二位の浜キャンプ場

 

今日の走行距離380km

長崎・福岡旅2日目~名護屋城・大野城へ~

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【本日のルート】


8月13日(火)

朝6時に目を覚ます。
テントの中から、朝焼けに染まる東シナ海が見える。
うすい桃色の空と濃く静かな海だ。

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朝の中瀬草原キャンプ場

汗びっしょりだ。
昨夜は暑く、暑くて堪らず、夜中何度も目を覚ました。
おまけに蚊が何匹かテントの中に入り込み、うるさくして仕方なかった。
あんまりうるさいので、ヘッドライトを点け、蚊を手でたたくと、手にべっとりと血糊が付いた。
寝苦しい夜だった。

ようやく気温が下がったと感じたのは明け方4時すぎだったろうか。

テントの外でバーナーでお湯を沸かし、コーヒーを飲む。
その間中、蚊がわんわん飛び回る。

やはり夏のキャンプはよろしくない。
逃げるように急ぎ撤収。

駐車場で、多摩ナンバーのソロライダーから
「どこからですか?」と話しかけられた。
「熊本です」と答えると、
「ああ、地元ですね}と言われた。
随分、大きな括りをする人だ。
まあ、関東から見たら、九州という括りになるのかなぁ。

中瀬草原キャンプ場から名護屋城を目指し、国道204号を北上。
途中、松浦鉄道と並走。
1両だけのイモムシ電車とすれ違う。

海沿いに松浦火力発電所の大きな施設が見える。

途中、松浦市のコンビニで、おにぎりを2つ購入。朝食とする。
お金を払う際に、レジのおじさんに名護屋城までのルートを教えてもらう。

コンビニの駐車場でおにぎりを食べながら、スマホで教えてもらったルートを確認し、出発。
真っ青な海と空の間の湾岸ロードを伊万里市を目指し走る。

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素晴らしい青の、空と海の間をひた走る

途中、大きな橋を渡り、伊万里市街をパスし、さらに204号を名護屋城を目指し北上する。

次第に道は山道になり、これが本当に国道か?と思うような道になる。
暑い。山陰でしばし休憩。

さらに走ると、やがて、眼下に海が見え始めた。
唐津湾だろう。
呼子がもうすぐのようだ。
しばらく走ると名護屋城への案内板が出はじめた。

随分前に一度来たことがあるのだが、名護屋城の記憶が全然ない。
新鮮な気分で駐車場にオートバイを停める。

案内受付というところで、環境保全の協力金ということで100円を払い、入場。

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名護屋城


さすが太閤秀吉の城である。石垣しか残っていないが、大きい。
400年前、全国の大名がここに集結し、朝鮮出兵に備えたのだ。

じりじりする日差しの中、
緑の木々がその枝と葉をつややかに輝かせ、蝉の鳴き声が、真っ青な空に吸い込まれていく。

三の丸は大きな大木の森となっており、崩れた大きな石垣が無造作に転がっている。
兵どもが夢のあと、である。
400年前、秀吉はここで何を考え、大名や兵は何を思ったのだろう。

本丸に登り、天守閣跡に上がると、玄海湾が一望できた。
真っ青な青空に真っ青な海が続く。
島々の間を抜くように積乱雲が沸き起こっている。
案内板にここから見える島の名前が記されている。
あれが対馬、その横が壱岐という具合だ。
ここが当時の大陸との最前線であったことを改めて感じる。

確かに歴史上稀な城だ。

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名護屋城 本丸跡 海の向こうは朝鮮半島

名護屋城を10:30に出発。
ここからは福岡、長浜を目指す。
呼子イカも気になるが、やはり長浜ラーメンだ。

まずは、遥か福岡の街を目指し、唐津市へ南下する。
暑い。

Tシャツのままの腕がもう真っ赤になっている。
唇も日焼けして、痛くなってきた。

西九州道(無料区間)という案内板があり、それに躊躇なく乗る。

目の前にはまっすぐな道と真っ青な空に沸き立つ積乱雲、左手には唐津湾の空と同じくらい真っ青な海が、松林の向こうに見える。
頭の中では、奥田民生のイージューライダーが流れる。

無料区間だからすぐ終わるのかと思ったら、意外にもずっと福岡市まで続いていた。
高速ではないらしく、途中にコンビニやガソリンスタンドがある。
あまりにも暑くて、コンビニにより、イートインで麦茶を飲み、ガリガリ君を食べてクールダウン。

イーインでこの先のルートをグーグルマップで確認すると、この先、前原東で一旦無料区間は終了し、有料区間になり、
160円で今宿まで行けるらしい。そこから先、百道まで行くと、今度は福岡都市高速に接続することになるらしく
さらに有料になるようだ。
ならば、今宿で降りて、福岡の街を走り、懐かしの青春時代を過ごした西新の街を通って長浜に行くのも悪くないということで、
160円を払ってさらに今宿まで行き、下道に降りる。

下道に降りると、先ほどまで走っていた西九州道都市高速道路と接続して、高架線として頭上をずっと福岡方面に
繋がっている。
福岡もずいぶん都会になったもんだ。
30年前はこの辺は、福岡の端っこという印象しかない。
これじゃ、東京の環八、環七の下の風景と同じだ。
車も多いし。

とはいうものの、走りながら眺める福岡西区の風景にはやはり懐かしさが残り、きょろきょろしながら245号線を走る。
ただ、早良区に入ったあたりから、周りの風景がまったく記憶にないぐらい変わってしまっていた。
荒江四つ角付近からはもう全然記憶の街とは違っている。

驚きながら、荒江四つ角を西新に向け、左折する。
30年前、このあたりに住んでいたのだ。
やはり記憶にある建物や店は全くない。
もう随分時間が過ぎたのだということを実感する。

西新の脇山口交差点でもあの当時から残っているのはベスト電器ぐらいではないのか。
ビブレもない、居酒屋じゃがいもも見当たらない。

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懐かしの西新 脇山口交差点

感傷に浸りつつ、交差点を右折し、明治通りを天神に向け走る。
しばらくして長浜家に到着。

前回、5月に来た時と同様に従業員駐輪場にバイクを停め、中に入り、カタを注文。
今日はなんだかスープが薄い。
はずれだが、これが長浜らしさだ。OKである。

ラーメンを食べ終え、さあ、いよいよ今回の旅の最後の目的地、大野城跡を目指す。
3号線を南下し、大野城市の手前から左折し、宇美町に入る。

宇美町のコンビニでグーグルマップで確認したものの、見事に迷い、しばらくうろうろして、
山のくねくね道を登り、谷川を越え、ようやく山の中腹あたりで、大野城跡の案内板に到着。

ただ、到着というものの、ここは天王寺山全体が城郭であり、その遺構である石垣がところどころに見られるという城跡だ。
ただその規模は大きく、大野城市宇美町太宰府市にまたがり、しかも飛鳥時代1350年前の古代城なのだ。

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大野城跡 百閒石垣下

オートバイを谷川の脇に停め、百間石垣を登り、ずっと石垣が続くことを確認する。
眼下の谷川のせせらぎが太陽に反射してキラキラ光る。
周りには誰もいない。
誰もいない山の中で、エンジニアブーツ野郎が石垣に一人登っている。

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石垣の一部を歩く

このまま、オートバイで山頂まで登り、太宰府市に出ることにし、くねくね道をさらに登る。
途中、大宰府の街が一望できる場所で、しばらく街を眺める。
ずっと下に九州国立博物館が見える。
この崖に沿って、大野城の城郭は続いているようだ。
ここを境に、ずっと下り道になり、しばらく走ると太宰府天満宮のすぐわきの道路に出た。

出たのはいいが、さすが超人気スポット、太宰府天満宮だ。いきなり超渋滞にはまった。
静かな涼しい山中からいきなり、こんな観光地の渋滞に巻き込まれ、暑くて、うるさくて、気が狂いそうになる。

ヘロヘロになりながら、ようやく渋滞を抜け、五条という交差点にあるコンビニにオートバイを停め、
麦茶を購入。一気に650mlのペットボトルを飲み干す。
ふーっである。
あやうく、干からびるところだった。
ホント、そんな感じだった。
暑い、ホント暑い。
午後になって、ますます暑い。
日差しがぎらぎら照り付ける。

冗談抜きに、むき出しにした腕がジュウジュウ、音を立てて焼けるようだ。

五条交差点から〇号線を経由して、福岡バイバスに乗り、ようやく大宰府を脱出。
渋滞から抜け出して、スピードを出して走れることで、少し気持ちが落ち着く。

ガソリンスタンドに入ると、若い店員が、
「うあ、真っ赤ですね、それ今日一日でですか?」とオーバーに話しかけてきたが、
こちらは暑くていらいらしていて「二日!」とぶっきらぼうに答えてしまった。

店員はそうした空気を察したのか、それ以上は話しかけてこなかった。
申し訳ない。
それぐらい、暑いのだ。
許してくれたまえだ。

満タンにして、しばらく走り、鳥栖に入ったところで、またもコンビニに入り、
今度は炭酸水を購入。
これだけ、水分をとっているのに、朝から全然尿意は催さない。

もう腕が鉄板に載せられた牛カルビみたいに真っ赤に焼けていたいのなんので、ここで仕方なく革ジャンを羽織る。
革ジャンを羽織った腕が、皮と擦れてチクチクする。
おまけに、革ジャンが風を通さないから、さらに暑い。

暑いが痛いよりいい。

鳥栖ICから九州高速道路に乗る。
盆で多いかなと思ったが、それほどではなく、順調に南下。

走り出すといくらか暑さはスピードでやわらぐものの、今後は腰がいたくなり、山川SAで小休止。
木陰でまたも麦茶を飲む。

さらに、熊本北ICでも小休止。
このあたりから少し、雲が見えはじめ、ぎらぎらする太陽も幾分か落ち着きを取り戻してくれたようで、一気に南下する。

あと少しとは思いながら、坂本SAで芝生に寝っ転がり、15分ほど休憩。

あと少し、用心、用心とつぶやきながら、ようやく人吉ICに到着。

一日ぶりに眺める街並みではあるが、
突然、映画「スタンドバイミー」のラストシーンの朝、二人がそれぞれの自宅に帰るシーンを思い出した。

映画のように、エポックメイキング的なことは何も起きなかったし、のちのち自分自身に何か影響を与えるようなことも何もない、たった一泊二日のオートバイ旅ではあるが、唐突にあのシーンが頭に浮かんだ。

17:30無事、到着。
やはり、日焼け止めを塗るべきであった・・・。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長崎・福岡旅1日目_平戸を目指して

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【本日のルート】

8月12日(月)

朝4時、一人起き出し、シャワーを浴び、ジーンズにTシャツ、ショットのWの革ジャンを羽織る。ガレージからバイクを引っ張り出す。
まだ、真っ暗な闇の中。東の空に、オリオン座が低く光っている。

家族は誰も起きてこない。
バイクにまたがり、静かに出発。

通りにほとんど車はなく、水の手橋の交差点の信号機もまだ赤点滅。

人吉ICから高速に乗る。
革ジャンを着ることは随分迷ったが、
まだ、この時間、ちょうどいい。Tシャツ一枚では寒い。
朝の濃い冷たい空気が気持ちいい。

肥後トンネルを越えたあたりで、山の稜線と空の境が分かるくらいに夜が明けてきた。
真っ暗な山のシルエットとグレーの空。
そのグレーの空が次第に、明るく薄いブルーに色を変えていく。
明るく薄いブルーの空に浮かぶ雲はオレンジ色の光を帯びている。

湘南爆走族で言うところの「紫のハイウェイ」だ。
もうすぐ夜が明ける。

氷川を越えたあたりで、輝くようなオレンジ色の光が山の際から登ってきた。
ほとんどマイウェイ状態の高速道路が紫色に染まる。

空気が少しずつ暖まるのを感じる。
光の中、どこまでも走れそうな気がする。


松橋ICで降り、3号線バイパスから57号線を熊本港を目指し北上する。
朝日が昇り始める。
まぶしく光る朝日が、あたりの風景を黄金色に染める。

6時10分、港に到着。
ターミナルで島原行のチケットを買い、島原のパンフレットをもらう。

朝日が昇ると一気に気温が上がり始めたようで、革ジャンを着た体が汗ばむ。
ラジオ体操をしていた夏の朝だ。

さあ、夏の一日がはじまる。

車が乗り込んだ後、最後にオートバイが案内され、フェリーの中に入る。
もあっとした空気の中、バイクを停める。
係員がタイヤの前後に車止めをはめ、ロープで車体を固定する。

階段を上がり、船室に入ると、クーラーがキンキンに入っており、汗ばんだ体を急速に冷やしてくれた。
朝食替わりのメロンパンを食べながら、しばらく涼んだあと、後方のデッキにでた。

フェリーの軌跡がキラキラ光っている。
革ジャンを脱ぎ、ベンチに座って海を眺める。

波のない穏やかな青い海、
澄み渡るライトブルーの空、
うすく刷毛で一塗したような雲が白く流れていく。
前方には普賢岳が少しずつ大きくなって見える。

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フェリーから島原を望む

風が気持ちいい。

予定通り、8時に島原港に到着。
日差しがもうすでにギラギラしている。
港の前のパームツリーがすごく南九州という感じだ。

港の前の交差点の案内板にしたがって島原城を目指して走り出す。

島原城自体は24時間で開いているようで、いわゆる本丸までオートバイで入ることができた。
天守閣の真下の駐車場にオートバイを停め、天守閣を見上げる。
復元城であるが、五層の確かに大きい城だ。

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島原城

ただ、天守閣見学は9時からということで、まだしばらく時間がある。
しかたないので、本丸を見学し、日陰のベンチで横になってひと眠りすることに。

日陰は涼しく、セミの鳴き声を聞きながらあっという間に寝てしまった。

目を覚ますと9時を過ぎていて、天守閣を見上げると、最上階にすでに人がいる。
入場料540円。
中は、他の復元城と同じように、歴史博物館的な展示がされていた。
特に島原城は、長崎らしくキリスト教関係の遺物が多数展示されていた。
やはり、これは原城にも行くべきか。

天守閣最上階、展望所からの眺めは素晴らしかった。
眼下には、、島原の街並みが広がり、背後には普賢岳がすぐ近くにそびえ、目の前には、キラキラ光る穏やかな有明海が広がっている。
対岸の熊本市と天草の島々がすぐ近くに見える。
島原からは熊本はこんな風に見えるのか。
普賢岳の江戸時代の噴火を表現した言葉で、「島原大変、肥後迷惑」というのがあるが、
本当に両者は近いんだというのを実感する。

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天守閣から有明海の向こう、熊本を眺める

島原城を後に、原城を目指し、島原半島を南下することに。
途中、がんばるロードというバイパスを走る。
この道が気持ちいいのなんので、右手にたけだけしい普賢岳、左手にキラキラ光る有明海、道はひたすら真っすぐで、空には青い空。
最高に気持ちいい道路。


国道251号線をさらに南下、南島原市のあたりは島原そうめん製麺所が数多く立ち並ぶ。
天草の島々が海を挟んでほんの近くに見える。

天草と島原でキリシタン一揆が行われたのもうなずける。こんなに近いんだ。
一揆の計画について話し合ったという談合島「湯島」がすぐ近くに見える。

原城跡は、南島原市の海のすぐそばの岡の上にあった。史跡なのだろうと思うが、駐車場と原城跡が500m以上離れていて、
しかも岡の上だし、暑いしでかなり難儀したが、一揆のあと、徹底的に破壊された城跡は、生々しい感じすらするすごい城跡であった。

ここで約400年前に行われた一揆の様子を想像する。天草四郎居城跡なんていう場所から眼下の海と向かいの天草の群島を見ると、
その戦いの悲惨さを思わずにはいられない。
空の青さと海の輝きがよけい、歴史の残酷さを際立たたせている。

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原城跡 兵どもが夢のあと

原城跡を出て、雲仙を通って、小浜温泉に出る。
雲仙の山を裾を抜け、海が目前に見えた時の美しさは素晴らしい開放感である。
海の向こうに長崎の街がかすかに見える。

小浜温泉オバマ大統領の時に一生懸命キャンペーンをやっていたが、
相変わらず多くの観光客でにぎわっているようだ。

小浜温泉を向け、諫早市を目指す。
日差しがどんどん強くなる。
諫早市にようやく入ったところのコンビニで休憩。
ペットボトルの麦茶を一気に飲み干し、クーリッシュでクールダウンを図る。

諫早市には予備校の時、仲良かったジローさんの故郷だ。
学生の頃、彼の実家に泊めてもらったことがある。
僕のオートバイに二人乗りして、一緒に長崎市稲佐山に登ったことを思い出す。
ジローさんは今、どうしてるんだろう。

そんなことを考えながら、諫早市を抜け、大村市を通過する。
もう暑くて仕方ない。
大村市のコンビニで再度クールダウン。
今回は、ガリガリ君でクールダウンを図る。

さらに、佐世保を目指し、北上。
やっぱり暑い、もうダメというあたりで、ハウステンボスが見えてきた。
ANAの巨大なホテルを眺めながら、ああ、今チェックインして、クーラーのガンガン聞いた部屋の、糊のきいたパリッとしたベッドに
飛び込めたら、どんなに気持ちいいだろうなんて想像する。

 

そんなことを考えながら、またしてもコンビニで休憩。
ペットボトルの水を一気飲み。
そして、とうとう我慢できず、革ジャンを脱ぐ。
禁断のTシャツ一枚になる。

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ハウステンボスの見えるコンビニで革ジャンを脱ぐ

ただ、これはのどが渇いた漂流者が海水を飲んでしまうようなものだ。
Tシャツで走るのは確かに気持ちいいが、やけどに近い日焼けすることは確定だ。

Tシャツ一枚で走り出す。
ああ、気持ちいい。

佐世保の街中に入ると、ジャパネットのビルがあちこちにある。
ここが本拠地なんだよな。
あの社長もこの町に住んでいるのかな。

街中は車も多く、日差しがじりじりと皮膚を焼くようだ。
ようやく駅前につき、適当に佐世保バーガーの店を探す。

事前にはなにも探していない。
多分駅前とかアーケードの近くにはあるのかなぐらいで、ぐるぐる走ると、「Big Man本店」というハンバーガーを発見。
狭いそうな店の前に長蛇の列。
たぶん人気店、発見である。
別に人気店でなくてもよかったのだが、仕方ない。
また探すのも面倒だ。
まあ、ハンバーガーだからそんな待たないだろうということで、オートバイを歩道の脇に停め、列にならぶことに。

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佐世保の街 Big Man本店横

30分ぐらい並んで、名物ベーコンエッグバーガーを購入。
交通整理の警備の人に、ここから平戸までの行き方を訊くと、途中まで西九州道の無料区間があるからそれを使うといいということだった。
そこまでの行き方も教えてもらい、西九州道に入る。

途中、道の駅があり、そこで名物ベーコンエッグバーガーを食す。

無料区間が終わったたとは、一般道に戻り、平戸を目指して北上するが、山間の道であまり走りやすくなく、なにより日差しがきつい。
午後のこの時間の日差しは本当に疲れる。

16時すぎにようやく西海橋を通過。
平戸の町が見えてくる。

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西海橋を渡り、平戸上陸

山の上に、小さく天守閣が見えた。
ああ、平戸に着いたなあと実感する。

平戸城こちらという案内板があったが、どこか山門を登る入口のようだが、駐車場が見つからない。
他のの登り口もあるとは思うが、もうこの時はくたくたで、他を探す余裕がなく、すぐそばの市役所の有料駐車場にオートバイを停め、山門を登った。
蝉時雨がすごい。
夏の午後であることを痛烈に意識する。

そして、その蝉時雨の中、平戸城を目指して、ひたすら階段を上っている今の自分が不思議とすら感じる。

 

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平戸城

階段を上がり、三の丸に出ると、すぐ横に、三の丸駐車場というのがあった。残念!
本丸に上る階段の脇に、料金所があり、410円を払い、天守に登る。

復元城だから中は、歴史博物館ではあるのだが、やはりここまで来たからには天守閣には入りたいし、最上階からの眺めを見てみたい。
大陸との歴史や交易のことが詳しく紹介されていた。

最上階からは平戸の海や街並みが見渡せた。
穏やかな海であり、ここから大陸に向けて遣唐使が出発したのかと古の昔に思いをはせる。

お城から降りて駐車城に戻る。
夕方近くの日差しが強い。

近くのガソリンスタンドで早めの給油をする。
「平戸って人口どれくらいいるんですか」と店員のおじさんに尋ねると、
「3万人ちょい、ですかね。過疎化が激しくて」となんだか恥ずかしそうに教えてくれた。なるほど、人吉と同じぐらいか。

お城の下には港があり、その周りには土産物屋やホテル、旅館が軒を連ねている。
オートバイでそこをゆっくり走りながら、まわりの風景を眺める。

夕暮れの西海橋を渡り、今日の宿泊予定地である旧田平町の中瀬草原キャンプ場を目指す。
佐世保ハンバーガー待ちの間にネットで探したキャンプ場である。
ネットの情報では要予約となっており、管理人が常駐するような立派なキャンプ場なんだろうなあと思っていたら、ただの海沿いの高台の草っぱらだった。

トイレはあるみたいだが、見渡す限り草っぱらである。
目の前にはただ海が広がっている。
西の空に夕日が写り、黄金色の光で島影を染め上げている。
いい風景だ。
すでに、何組かのキャンパーがテントを張っている。
ソロが4組、ファミリーキャンパーも1組いるが、とても静かで、非常に望ましい。

一番海側にテントを張り、他のキャンパーを視界に入れないようにし、一人この草っぱらにいることにする。

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海の見える草っぱらのキャンプ場

テントに潜り込むと、目の前には夕暮れに染まる海だけが見える。
いい感じである。

テントができたら、次は買い出しだ。
オートバイで西海橋付近まで戻り、スーパーを探したが見つからず、途中にあったコンビニで、おにぎりと焼きそば、ビールを買い込み、テントに戻る。


東シナ海の海に沈む夕日を眺めながらビールを飲む。
西の空が黄金色に染まる。

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テントからの眺め 東シナ海に沈む夕日 

心地よい風が吹く。

一息つき、バーナーでお湯を沸かし、焼きそばを食べる。
蚊がわんわんまわりを飛び回る。
堪らずテントに潜り込む。

 

向かいの島で花火が打ち上がる。