僕の旅はまだまだ続く

ハーレーを中心とした旅の記録

GW鳥取へ5日目~島根浜田から人吉へ~

本日のルート

 

朝、目を覚ますと5時30分だった。
昨夜吹き荒れた風も止んでいて、温かい朝だ。

まだ、雨は降りだしていないが、今にも降りそうな空模様。

急いで荷物を炊事棟の屋根の下に移動し、パッキングする。
一段落したところで、昨夜買っておいた弁当を食べ、朝食とする。

カッパを着込み、長靴をはく。
がんばって、一度で荷物を駐車場のバイクのところまで運ぶ。汗びっしょりになる。

この旅で一度も風呂に入っていない・・・。

バイクに荷物を括り付け、防水対策で、シルバーシートで荷物を覆う。
ヘリメットのシールドも付け、いつ雨が降り出しても大丈夫な体制をとる。

スタート前のメータ―の写真を撮り、石見海浜公園を出発。7時。

走り出すと、空がさっきより明るくなっている。
しばらく雨は降らないかもしれない。

浜田バイパスに乗る。無料の高速だ。
車がほとんど走っていない。
風が強く、気を抜くと、バイクごと風にもっていかれそうになる。
怖いくらいだ。姿勢を低くして走る。

ずっと山の中を走っていたが、終点近く、右手に日本海が見えた。
写真を撮ろうと、路肩にバイクを寄せ、カッパのポケットからカメラを取り出そうとすると、カメラがない。
あれ、えっ、なんで、慌ててあちこちのポケットを探るが、ない。

えっ、落としたの?

まさか、気が動転する。

カッパを着込んだ時には気付かなかったが、ポケットが浅い。
走行中に落としたのか。しまった、とりあえず、終点まで走り、そこから反対車線に入り、もう一度同じルートを走って確認することに。どこか路上に落ちているかもしれない。

それに、もしかしたら、石見海浜公園内で落としたかもしれない。
それならあるはずだ。

いや、浜田バイパス内なら踏みつぶされてしまったか、いや、あまり車も走っていないから残っていないか、橋から落ちたのかも、そんな考えが頭の中でぐるぐるめぐる。

走りながらも、目はじっと反対車線のさっき走ってきた車道を追うが、それらしきものはない。
40分かけて、石見海浜公園まで戻るがない。管理棟は、まだあいていない。8時30分からとドアに張り紙がしてある。

えーい、仕方ない。
もう一度だ。ということで、もう一度、浜田バイパスに乗り、探す。

探すがやはり見つからない。

結局、石見海浜公園まで戻り、管理棟で、落し物はないかと尋ねる。
事情を話すと、いたく同情してくれ、警察への手配やカード会社への連絡、道路公団の電話番号などを一緒に調べてくれたり、電話を貸したりしてくれたりした。別の職員の方は、スクーターで敷地内を調べてくれた。

自宅へ電話をしたが、妻はもう仕事に出かけたようで、いない。
留守電を残す。奥さんの携帯電話番号がわからない。これが失敗だった。
警察へ電話し、紛失届を出した。
カード会社へ電話をしたが、よくわからない。
道路公団にも届いていないという。高速だから、人が持って行った可能性は低いだろうということだった。

スマホをなくしたことで、一緒に入れていたクレジットカードも併せてなくした。
これは再発行すればいい。

スマホをなくしたことで、スマホに保存していた写真がなくなった。これは痛い。
クラウドにあげていたか?
いつかバックアップとった記憶があるが、いつだったか。

スマホをなくしたことで、アプリがなくなった。これは、そう大事なものはなかったはず。再インストールで済むからよい。

ただ、LINEがバックアップできていない。おまけにIDもPWをどこかに記録した記憶がない。LINEがパーだろう。これはかなり痛い。

すべては自分のミスである。

お礼を言って、石見海浜公園を出る。
旅の最終日が失意の旅の始まりになった。

それにスマホをもたない旅だ。
大げさに言えば、羅針盤をもたずに、航海に出る気分だ。
羅針盤をもたずに、航海に出たことはないし、航海もしたことはないが。

スマホがなかった時代は、地図をもって旅をしていた。
スマホをもってからは、地図を使わなくなった。
スマホで時間も、ルートも確認できるようになった。
スマホに頼って旅をしていた。

スマホがないだけで、すごく心細い。
そんな不安を感じる自分にも正直驚く。
まだ、雨は降りださない。10時。

スマホ紛失で、3時間のロス。
今できることは、道路標識を頼りに南下するだけだ。
ただ、ルートのイメージはある。
山口まで行けば、そのあとは何度も通ったルートだ。
大丈夫。自分に言い聞かす。

さあ、無事、人吉に戻れるか。
再出発。

再び、浜田バイパスに乗る。
もう一度目を凝らし、スマホを探すが、やはり見つからないまま、終点へ。
国道9号線に入り、益田を目指す。

益田から津和野に向かうか萩に向かうか迷うが、津和野から山口ルートは前回の旅で走ったこともあり、もしかしたら遠回りかもしれないが、萩から山口ルートで行くことにする。

空はどんより鉛色。
自分の気持ちのようだ。
しばらく走ると萩に入り、前回の旅で通った記憶のある道に出る。

山口の道路標識を頼りにバイクを進める。
雨が降り出してきた。

途中、信号停車するときに、バランスを崩し、バイクを倒してしまう。

荷崩れして、一人では持ち上げられない。
車は自分とオートバイを大きくよけていく。

雨はどんどん強くなっている。
あー、くっそっと思っていると、一台の車が止まってくれ、
「大丈夫ですか」と言って、30代ぐらいの男性がバイクを起こすのを手伝ってくれた。

若いころはやんちゃでしたという感じの男性だったが、
「荷物が崩れたんでしょう、大丈夫ですか?」彼の温かい言葉に涙が出そうだった。

お礼を言う。
男性は「気を付けて」と言って、車で走り去った。

路肩にバイクを止め、雨は降っているが、今後のことも考え、
荷物をほどき、もう一度荷物を確実に括り付けた。

今回の荷物の量では、ロープが短かった。
雨の中、荷物をくくりなおす。

気を取り直して、再出発。
雨足がどんどん強くなる。

道は山の中に入っていく。
どんどん山奥に入っていく。

このルートで間違いなんだよなと不安になる。
雨足もどんどん強くなる。
びっくりするぐらいの大雨だ。

カッパもすでに用をなさない。
腹や股のあたりはもうびっしょりだ。

寒い。

何度もヘルメットのシールドを手で拭いながら視界を確保する。
ここで事故ったら、ここで転倒したらと思うと気が気ではない。
生きて帰れるか、真剣にそんなことを思う。

ハンドルを握るグリップに力が入る。

峠を越え、ようやく山口市街に入る。
通りにあったスタンドにバイクを止め、給油するついでに、電話を貸してくれないか店員に頼む。

店員が店長に相談に行く。
怪訝な表情で店長が出てきた。事情を話すと店の電話を貸してくれ、
最後は自分の電話でもかけてくれた。ありがたい。

いろんな人に助けられての旅であることをしみじみ思った。
お礼を言って、再び雨の国道に出る。

店長に聞いた通り、高速に入り、SAで休憩する。
通りがかりのおじさんが、「大変だね」と声をかけてくれる。

全身濡れネズミである。
寒い。
荷物を解いて、着替えを出し、トイレに入り、乾いたTシャツとシャツに着替える。

予備のカッパも着こみ、カッパとカッパの間にはビニール袋を挟みこみ、防水対策とする。すこし温かくなった。

公衆電話で自宅に電話をするが、やはり留守電。2時。メッセージを残して、大雨の中、再出発。

雨足は相変わらず、強いが、カッパとカッパの間にビニール袋を挟みこんだ成果大である。雨のしみこみがなくなった。

こんな商品を作ったら、売れるかも。
けど、普通は、大雨の日はあまり走らない。

小月というところから事故渋滞という表示がある。
こんな雨の中、渋滞に捕まったらシャレにならないと思い、その前のICで降りる。

しかし、降りても、道が分からない。
とにかく、道路標示を頼りに、南を目指す。

下関の長府で、駅が見えた。そこで、駅なら公衆電話があるだろうと、公衆電話を探すが公衆電話はなかった。
ほんと、スマホに慣れてしまっていたが、スマホがないとこんなにも不便なんだと痛感する。

雨でびっしょり濡れ、寒さで震えながら、弱気になる。

なんとか、下関トンネルまでたどり着き、関門トンネルを通って、ようやく九州へ入る。気持ち的に九州に入るだけで、少し安心できる。

トンネルを出てすぐの公園の脇に公衆電話を見つけ、自宅に電話。

妻に状況を話し、帰宅が遅くなることを伝える。
状況を伝えらたことで、すこしホッとする。
「気を付けて、無理せずにね」と言ってくれる。

ほんと、気を付けなければ、人吉までたどり着かない。
気持ちで、公衆電話から雨の中に戻る。

門司から、北九州都市高速に入り、黒崎まで走る。
都市高速を使ったことで、大分時間を短縮できたとは思うが、夕方がすぐそこまで迫っている。

寒い。雨はやまない。やみそうにもない。
やはり、下関から九州道に入り、一気に南下するべきだったか。

迷いがあせりになる。落ち着け、自分である。

国道3号線を走る。
古賀あたりからは車も多くなり、なかなかスピードが出せない。

すり抜けすり抜けでようやく福岡市に入り、都市高速に乗る。

寒い。寒い、寒いばかりがすべての感覚になってしまっている。
ヘルメットシールドに降りかかる雨を手で拭いながら走る。

集中力を切らさないようにしないといけない。

陽が沈んできた。
ようやく福岡に入る。
雨で福岡の街も暗い。
大宰府に入るころには陽は沈み、夜になった。

GW後半だからか、車の数は多く、どの車をスピードは上げられない。

雨の中、安物の小型ヘッドライトの明かりは暗く、心もとない。

正直、良く見えない。
前の車のテールライトが頼りだ。
遅いスピードで、車線を変えず、前の車のテールライトに集中しながら、じっと走る。

寒さがピークを迎える。
広川SAに入る。
公衆電話で妻に電話。

無理して帰ってこなくてもいいから、どこか一泊すればと言ってくれるが、もはや止まる場所を探す手段もなく、明日も雨だということを考えれば、走りぬくという一択しかない。

雨に濡れながら、最終手段、夜気温が下がった時の最終手段として残していた革ジャンも着こむ。手袋も、ビニール手袋の上に、溶接用をはめる。防寒対策はこれで最後だ。

もう着替えもない。

これで人吉まで走り切るしかない。

南下するに従い、車も少し減ってきて、夜がますます暗くなる。
玉名あたりは真っ暗だ。

雨は依然、強いが、革ジャン、皮手袋の効果か、雨はしみこまない。
さすが革物は強い。

雨のせいもあるが、真っ暗な九州道を走ると、熊本がやたら遠く感じる。
ようやく熊本ICを超えたあたりから、やや雨脚が弱まってきた。

あと少し、あと少しと自分に言い聞かしながら、宮原SAで最後の給油をする。

店員が「どこまでですか」と聞いてきた。人吉までと答えると、
「あと少しですね、用心して」と言ってくれた。
こんな言葉がほんと、うれしい。
お礼を言って、再び走りだす。

どこよりも真っ暗な八代、人吉間のトンネルばかりの真っ暗な高速を走り、人吉の町が見えてきたときには、本当にほっとした。

ほっとしたが、5日ぶりの人吉の夜は、暗闇の中にところどころぼんやりと明かりが灯るだけの死んだような町に見えた。

なぜだろう。

10時30分、自宅着。
大げさだが、生きて帰れたと思った。

疲れた。寒い。
ずいぶん走った。