僕の旅はまだまだ続く

ハーレーを中心とした旅の記録

大雨と大風の中で~3日目~

10月9日(月)

昨夜もずいぶん風が強く、雨音もうるさかったが、朝6:00に目を覚ますと、風が止んでいた。雨も上がっている。

テントを出ると、目の前の海も波がなく、穏やか。
空には、雲の隙間から、わずかではあるが晴れ間も見える。
低気圧が去ったのだ。
暗黒のフォースはすっかり消え去った。そんな気分だ。

なんとなく生きのびたという気分。
オーバーだけど。

テントの外で、歯を磨き、椅子を出して、海を見ながら、コーヒーを飲む。
これがしたくて、ここまで来たのだ。
3日目でようやく叶う。

バーナーでウインナーを焼き、パンにはさんで、マヨネーズをかけ食べる。
ソロキャンプの朝の最高の朝食の一つである。
それだけで、なんとなく、しかし、すごくいい気分。

朝食の後、散歩がてら、付近を歩く。
ホテルにも行ってみたが、なんと驚いたことに、すでに営業していなかった。
テントサイトからは、ぼんやり明かりが見えていたから、営業しているのかと思っていたが、非常灯か何かの明かりだったようで、入口には営業をやめた旨の告知がされていた。

廃墟とまでは言わないが、営業していないホテルは不気味ですらある。
できれば、温泉に入りたいと思っていたのだけど、あてが外れて残念という気持ちと、やはり過疎化の地方の町の未来をまざまざと見せつけられたような気がした。
映画の中では、とても晴れの場所であったのに。

地方の過疎化の現実を見たようで、少し、気持ちが沈む。

風が強く、潮風を浴びたのでは心配していたハーレーも、一発でエンジンがかかり、問題なさそう。

雨に濡れた道具をパッキング

テントをたたみ、荷物をバイクに積み込み、8:00に誰もいないキャンプサイトを出発。


なんとなく切ない。

いまさら佐多岬という気分でもなく、このまま帰途につくことに。
天気もまったく心配ないというわけでもないのだ。

南大隅町の中心部らしきところを通る。映画に出てきた役場はわかったが、後はよくわからない。

左手に開聞岳を望みながら、ひたすら国道を北上する。
車はほとんどいない。

途中、アダンの群生地というところで休憩がてらコーヒーを飲む。

しばらく走ると、やはり雨が降り出す。
ネットで調べると、しばらく小雨が続くようだ。

まだまだ暗黒のフォースの霧が立ち込めているに違いない。
コンビニの駐車場で、カッパを着る。
今回の旅は、わかってはいたが、最初から最後まで雨である。

雨の中をひたすら走る。
道の駅の駐車場横の東屋で、バーナーでお湯を沸かし、車で来ている観光客の視線を避け、雨の錦江湾を眺めながら、“うまかっちゃん”を食べる。

道の駅で、海を眺めながら昼食  目の前にあるのは足湯

いつも食べているうまかっちゃん”ではあるが、こうしたシュチュエ―ションで食べると、なかなか趣深い。場違いな感は否めないが、仕方ない。

北上するに従い、少し晴れ間も見え始め、姶良の手前で、カッパを脱ぐ。
爽快である。

車も少なく、マイロードの中を、軽快に飛ばす。
バイクで走っていて、自由を感じる瞬間である。

どこまでも行けそうな気がする。
天気はもう大丈夫そうだ。
姶良から湧水に入り、再び黄金色の稲穂の中を走る。
秋である。

黄金色の稲穂に染まる秋の田んぼ

ループ橋を通り、人吉に戻ったのは、まだ14:00。
それから温泉に行き、冷えたビールを飲んで、今回の旅は狩猟。

終わってみれば、


雨に向かって走り、雨の中で過ごした今回の旅もまあ悪くはなかったかもしれない。

これはこれでよい旅であった。

大雨と大風の中で~2日目~

10月8日(日)大雨

夜中、風の音とテントの軋みで何度も目を覚ます。
かなり浅い眠りだ。体も緊張しているのだろう。

朝、8:00に目を覚ます。
テントの中はまだ真っ暗。

入口のジッパーを開けると、暗い海と空、降りつける雨と風である。
テントの中に雨が振り込み、慌ててジッパーを占める。

昨日いた3人組のキャンパーはもういない。
なんか心細い自分が情けない

とりあえず、歯を磨き、外に出て、雨に濡れながらペットボトルの水でうがいをする。

一人ぼっちのキャンプ場 雨に打たれるテントとバイク

テントに戻り、テントの中でお湯を沸かし、コーヒーを飲む。
風が強い。
テントが軋み、雨がじわりと染みてくる。

このまま雨が降り続いて、大丈夫か。
テントはもつのか。浸水はしないのか。
バイクは塩をかぶってはいないか。
ネガティブなことばかり考えてしまう。

薄暗い大雨の午後の誰もいないキャンプ場 向こうに見えるのが佐多岬ホテル

しかし、なにもできることはない。
撤収すらできない。

 

結局一日中、テントの中にいる。本を読んだり、ウトウトしたりしながら過ごす。

食事としては、袋ラーメンを食べたり、食パンをかじったり。

夜になっても雨、風とも弱まらず。
テント下が少し浸水。

大丈夫かな。スマホをぎゅと握りしめる。
不安も強くなる一方。

大雨と大風の中で~1日目~

本日のルート

10月7日(土)くもり

すっかり秋めいた涼しい朝の空気の残る中、朝10時に人吉を出発。

空は曇ってはいるものの、雨が降りだすような気配はない。

ガソリンスタンドで、ハイオクを満タンにし、まずはえびの市を目指す。
山の中に入ると、少し肌寒く感じるが、ライダースを羽織ることもなし。
ネルシャツで十分。

ループ橋をぐるぐる回り、加久藤トンネルを抜けると、目の前に韓国岳をはじめ、霧島連山が見える。霧島の山々にも雲はなく、きれいな山容が一望である。

山を下り、えびの市から湧水町へルートをとり、黄金色に色付き始めた田んぼを眺めながら、ひたすら南下する。

空からは、太陽の光が見え始めた。オートバイに乗っていると、太陽の陽が差すと、一気に気温が上がるのが分かる。肌に当たる風の匂いや肌触りも変わるのも感じる。

秋空高し、気持ち晴れる午後。
風に、黄金色の稲穂がそよぐ。

姶良の手前のコンビニで休憩。ルート確認。コーヒーを飲む。

コンビニの駐車場でコーヒーを飲む もうすぐ桜島

姶良の坂を下ると、姶良の町の向こうに、大きな桜島がいきなり顔を出す。
鹿児島だ。
桜島を見ると、隣の熊本から来ても、南国に来たなぁと感じる。

桜島を見る度に、幕末の志士、平野国臣の“わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山”の名言を思い出す。
確かに桜島にはそんなことを思わせる力があるような気がする。

姶良の町を抜け、大隅半島に入る。
隼人の町を走り、海沿いの道を、桜島を右手に見ながら走る。

曇っていて、桜島の煙もかすんでいるが、寒くはなく、雨も降りだしそうな気配もない。なんとか天気はもちそうだ。

それにしても、思ったよりも遠い。

海沿いの道は、晴れていれば、さぞかしよい風景だろう。
車も少なく、自分のペースでアクセルをひねり、マイロード状態。

曇天の向こうに見える桜島

垂水で桜島を真横にすり抜け、錦江町に入る。
錦江湾の向こうには、開聞岳がぼんやり見える。
海には、鯛の生け簀がたくさん浮かんでいる。波一つない静かな海だ。

ここらあたりから、なんだか空模様が怪しくなる。
雲が次第に厚くなり、空は暗く、雨が今にも降りそうな気配である。

急ぎ、交通量の少ない国道をひたすら南下し、大根占の町に入る。
この先は、もう南大隅町のAコープしかスーパーがないようだ。
ここで比較的大きなスーパーを見つけ、ここで食料を買うことにする。

多分、明日は雨だ。一日中、テントに閉じ込めらるだろう。
ここが今回最後の食料購入のチャンスだ。

袋ラーメン2つ、カップ焼きそば1つ、食パン1袋、ウインナー1袋、柿の種1袋、ウイスキー1瓶、ミネラルウォーター2リットルを購入する。

ビールは、冷えたやつを南大隅町のAコープで購入しよう。

スーパーの隣のガソリンスタンドで、ハイオクを満タンにして、右手に開聞岳を望みつつ、さらに南下。

やがて南大隅町に入る。

今回、この町に来たのは、Amazon Prime Viedoで見た「きばりゃんせ、私」という映画の影響が大きい。女優の波留が主演の映画で、南大隅町を舞台にしている。世間的には酷評みたいだったが、自分的にはなかなか面白く、舞台になった南大隅町に行ってみたくなったというのが今回のツアーの一番の動機である。

なにしろ、今回、宿泊しようと思っているのキャンプ場は、舞台となったホテルの真下にあるのだ。楽しみである。

天気がやばくなってきたあたり 周りの木々がすでに亜熱帯 

南大隅町に入ると、交差点で、母親と一緒の小さい男の子が、手を振ってくれた。こういうのは、バイクに乗っていて、何気にうれしい瞬間の一つである。

子どものバイカーに対するピュアなイメージは壊したくないものである。笑顔で手を振り返す。

海岸線を離れ、道は山へ向かう。
とうとう雨がぽつりぽつり降り出す。
やばいなあと思いつつも、いやいや一時的なものだと自分に言い聞かせ、進む。

トンネルをいくつか越えると、やがて、大隅町のAコープが見えてきたが、思っていたとおり小さい。大根占で買い物をして正解だったなぁと思いつつ、ここでビールを買おうと思っていたが、ここから、佐多岬まで、まだ17kmもある。

佐多岬に寄って、それからキャンプ場に向かうとすると、まだまだずいぶん時間がかかる。それではビールが温くなる。

温いビールは、飲みたくない。ならば、佐多岬に行って、キャンプ場でテントを張って、もう一度ここまで来て、ビールを買えば、冷え冷えのビールがキャンプサイトで、夕暮れの海を眺めながら飲めるはず。

ということで、Aコープはスルー。

佐多岬を目指すが、すぐに雨足がどんどん強くなり、やがて本降り状態になる。
こうなると、佐多岬どころではなく、取り急ぎキャンプ場を目指す。

びしょ濡れになりながら走る。九州最南端の町と言っても、10月の雨はやはり冷たい。しばらく走ると、やがて、「きばりゃんせ、私」にでてきたのとおんなじホテルが見えた。

そこからは、キャンプ場はすぐ下で、すでに1組の車の3人組キャンパーがいた。
他は誰もいないようだ。
まあ、これから3日間雨予報だし、そうだよなあと思う。

こんな日にキャンプをしようという方がおかしいのだろう。

急いでバイクを止め、3人組キャンパーから少し離れた場所に、びしょ濡れになりながらテントを張る。

これから降り出すだろう雨に備え、松の木の下に張る。


テントを張る間も、雨は次第に強くなり、テントに逃げ込むように潜り込んだ。

今回のテントサイト 松の木で バイクと一緒

目の前は海で、テントサイトも、ネットで見たように確かに芝生で悪くはないが、海岸が汚い。ゴミばかりだ。オフシーズンだからか、天気が悪いからか、恐ろしくうら寂しい風景である。

まだ4時までだが、あたりは薄暗く、風も強くなってきた。
バイクをテントの横に寄せ、グランドシートで、バイクとテントを覆う。
テントに潜り込むと、今更、佐多岬という気分ではない。

残念ながら、今からずぶ濡れになりながら、Aコープにビールを買いに行くというのも現実的ではない。

痛恨の判断ミスである。残念。

スマホで確認しても、もうずっと雨である。
これから、もうひたすらテントに籠るしかない。

風がだんだん強くなる。グランドシートがバタバタ音を立てながら、風に煽られている。
寝袋に包まり、さっそくウイスキーを飲む。
最初は、ビールのはずなのに。
返す返す残念。柿の種をかじり、ウイスキーをぐびり。

今日の夕食 ウイスキーとさつま揚げ

外は薄暗い夕方。
ヘッドライトをつけ、持ってきた文庫本を読む。

雨はますます強くなる。
陽が暮れる。
海はごうごうとうなりを立てている。
風でテントが左右に大きくきしむ。

こんなはずじゃなかったんだけどなぁ。

結局一晩中、風と雨が吹き続け、テントは軋み、雨がしみ込んでくる夜。
テントはもつかな。かなり心配。

けども、本を読みながら、いつの間にか眠ってしまう。

天草世界遺産を学ぶ旅~3日目~

本日のルート

8月5日(土)

朝は、暑さで目を覚ました。
もうすっかり陽が昇っていた。
汗びっしょりである。

朝のキャンプサイト テントを干す

椅子だけ木の下に移動し、コーヒーを飲む。
昨日、朝食用に買っていたおにぎりを食べ、しばらく本を読む。

9:00ごろ出発。
今日は、天草の東海岸を通り、人吉に帰宅する予定である。

本渡市から、下浦町を通って、栖本町に入る。
標識や町の看板にカッパのイラストが多く見られるようになった。
カッパの伝説があるのだろう。

ただ、今回、栖本町に来たのは、ここにあの妖怪“あぶらすまし”の墓があるからだ。
スマホの地図を頼りに、栖本町の海岸の道から、山の方へ進む。

田園風景の中をしばらく走ると、#あぶらすましの墓“という看板があった。
ここで、バイクを停め、さらに山の方へ歩く。

駐車場の看板の解説文では、天草では、“あぶらすましどん“と呼び、ここらに住んでいたという伝承があるようだが、この“あぶらすましどん“はゆわゆる菜種油を集めることを生業にした人のことを指すようである。

つなり、生業としてはなはだ不安定で、そうした山々を移ろう人々のことを“あぶらすましどん”と呼び、それがいつの間にか妖怪化したのであろう。

妖怪の成立過程を考えると、本当に面白い。
もちろん、あの水木しげる氏の功績が大きいと思うが。

あぶらすましどんの墓は、農家の脇の道を山の方へ少し歩いた崖の下といったところにあった。

あぶらすましどんの墓

ちいさく、人目に付くような場所ではない。

それでも、こうした伝承に残ることで、続いていくことが大切であるが、課題はその永続性である。

海岸の道に出て、しばらく海岸線に並行して走る。
空は青く、雲は白く、緑の島々は木々の濃ゆき藍色を示している。

姫戸町を通り、松島を抜け、上島を走り、三角町に入る。

天草東海岸から見える島々

途中、有名なちゃんぽん屋に入り、昼食としたが、あまり好みではなかった。
こんなことなら、初日に食べた「きっちんぽっと」に行けばよかった。

日焼け対策 確かに日焼け対策にはなったが・・

後は、ひたすら3号線を南下し、八代ICからは高速で人吉に帰る。

ほんと、社会科見学のような天草キャンプツーリングであった。

 

 

 

天草世界遺産を学ぶ旅~2日目~

本日のルート

2日目 8月4日(金)

目を覚ましたのは6:00だった。
もう夜はすっかり明けていた。

テントから起き出すと、キャンプ場の一番奥に車が2台停まっていて、テントが2つ張ってあった。一見してサーファーだなと分かる数人の男女のグループで、もう撤収を始めていた。

彼らのテントの前を通り、トイレに行き、歯を磨く。
彼らが会釈をしてくれる。
僕も会釈する。物静かな人たちだ。

 

コーヒーを沸かす。
朝食代わりに、サッポロ一番の塩ラーメンにウインナーを入れ食べる。
朝からラーメンなんてとも思うが、これは塩ラーメンだからこそ成立すると個人的には思っている。それにウインナーを3本入れる。
サイコーまではいかないが、アリである。
朝ラーメン、お試しあれ。

朝食 サッポロ塩ラーメン

朝食を食べ、またコーヒーを飲み、本を読む。
ここでは、椎名誠の「新宿熱風どかどか団」というヤツ。
言ってはなんだが、こんな朝のぼっーとした時間に読むには最適だ。面白いけど。

今日も全然急ぐ旅程ではない。
のんびりとした夏の朝である。ラジオ体操していいぐらいだ。

本を読んでいると、さっきのサーファー団の車が2台連なって出ていった。
2台とも会釈して出ていった。
ナイスサーファーである。

その後もしばらく本を読み続ける。
乾いた風が適度に吹き、よい気持ち夏の朝である。

しばらくすると、1人のサーファーがやってきて、
「すいません。真木蔵人さん、来てませんでした?」と尋ねた。
真木蔵人?あの俳優の?」
「そうです」
「いやあ、わかんないですね。ただ、昨夜夜中遅く、車2台でサーファーの人が4~5人かな、きて、1時間前ぐらいに出ていきましたよ」と言うと、
「あっ、それだ」と彼は言って、しまったという顔をした。
「実は、今日、彼が天草で波乗りをするってんで、アテンドするように頼まれてたんですが、行き違いになったようですね」
「へぇ、あの人たちの中に、真木蔵人さんがいたんですね」
「そうなんですよ。いゃあ、ありがとうございました」と彼は、ニコッと笑顔で挨拶して行ってしまった。
サーファーって、なんかいい人多そうだな。

真木蔵人、久しぶりに聞いた名前だ。
僕らの世代には、ビッグネームだ。
しばらくテレビでは見ていないし、あのグループのだれが真木蔵人かはわからなったが、いい生き方をしてるよなぁ。

すっかり陽が登った9:30にようやく出発。
すっかり気温も上がってしまった。
海がキラキラしている。
海水浴場にももう人がたくさんいる。

今日は、まず崎津天主堂を目指す。世界遺産だ。
国道を海沿いに南下する。
右手に島原半島がすぐそばに見える。
南島原市あたりか。

海が大きく波打ち、白波が海岸を白く染める。
空はどこまでも青く、大きな積乱雲が浮かぶ。

天草西海岸の海

南下するにしたがい、海はより青く、より深い藍色になる。
日差しは強いが、バイクで走ると、暖かく乾いた風に包まれる。とてもよい気分。

下田温泉の天草夕焼け八景の一つというところで、東シナ海をバックに写真を撮る。

やがて、道は次第に山の中に入り、しばらく走っていると、山の中の小さな集落の中に、大きな白亜の天主堂が見えた。
すごく違和感のある組み合わせのはずなのに、まったく洋風の、その大きな白亜の天主堂は、山間の静かな風景の中に、なにかすごくしっくり溶け込んでいる。

農村に建つ大江天主堂

バイクを路肩に止め、スマホで調べてみると、それは大江天主堂であった。
「あれが大江天主堂か」思わず独り言を言ってしまう。
とても美しい。

天主堂の下にロザリオ館という資料館もあるようだ。
せっかくなので寄ってみる。
天草のキリスト教関連4施設通し券600円というのがあり、それを購入。

ロザリオ館の中に入ると、館長というネームプレートを付けた長身のおじさんが、シスター3人を含む10人ほどの団体にギャラリートークをしていた。

せっかくなので、そのグループにくっ付いて、館長の説明を聞きながら見学をしたが、その話がうまく、非常に軽妙な語りで、よく天草におけるキリスト教の歴史を知ることができた。シスターへのキリスト教ジョークには驚いた。

なぜ、この辺り一帯が世界歴史遺産群に指定されたのか、世界史的に、どんな稀有な歴史を育んできたのか、自分なりによくわかった。

その土地やその時代背景や、そこに生きた人々の生活や思いを知ると、急にその土地の歴史が色彩を帯びて感じる。

思いがけずロザリオ館に2時間近く滞在し、外に出て大江天主堂までバイクで移動する。見上げる天主堂の真っ白な建物とその後ろの真っ青な青空がまぶしい。

大江天主堂

建物の中は、祈りの空間であり、敬虔な場所であった。
九州の西の端の山の中に建つ、この天主堂に対する悠久からの人々の思いや願いに思いをはせる。

大江天主堂に別れを告げ、崎津を目指す。
海沿いの道を南下する。
海の青さ、山の緑。
なんと豊かな色彩なのだろう。
夏の乾いた風がひたすら心地よい。

やがて、河口が見え、小さな漁村が見えた。
その小さな漁村の真ん中にグレーの小さな天主堂があった。
それが崎津天主堂のようだ。

漁村に建つ崎津天主堂

本当に、どこにでもあるような鄙びた小さな漁村にこじんまりとグレーの天主堂の先端が見える。

不思議な光景であるが、ぎょぞんの風景にしっくりなじんでいる。
狭い路地のような道を入っていくと、小さな駐車場があり、そこにバイクを停める。

観光客の姿はあまり見えない。

崎津天主堂は、遠くから見ても大きくは見えなかったが、近くに行ってもやはり大きくはない。

大きくはないが、ほんと町になじんでいる。
そこにあるのが当然のような佇まいだ。
また、天主堂の全面はコンクリート造りなのに対して、後ろ部分は木造建築である。和洋折衷というより、資金面での工夫のようだが、なんともユニークだ。
内部も畳敷きで、びっくりしたが、畳敷きの教会に降り注ぐ、ステンドグラス越しの光が、不思議な空間を作り出している。

それにしても、畳敷きなので、エンジニアブーツを脱いだり履いたりするのに往生する。

向かいの資料館に行き、さっきの周遊券を見せる。
「どちらからですか」と係の人に聞かれ、

「すいません。人吉です」と答える。

すごく遠くに来た気分で観光しているが、同じ県内であり、なんか申し訳ない。

ここの係の人の説明もわかりやすく、崎津の歴史を学ぶことができた。
とてもいい施設だ。
こういう施設は人吉にはないよな。。

通りに出て、海沿いまで歩き、しばらく海と山と空を眺める。
緑色の深く穏やかな海を眺めながら、なんだかずっと昔に来たような気がする。

通りの突き当りにある神社に登り、崎津の町並みを眺める。
神社と教会と漁村と人々の暮らしが溶け込んでいる静かな祈りの漁村である。

神社から天主堂を眺める

崎津を離れ、コレジオ館を目指す。キリスト教関連施設周遊券の3つ目だ。

コレジオ館は、いわゆる当時のキリスト教の大学ということで、そんな学術施設がこの天草のこんな南の端の小さな町にあったとは驚きである。

資料によれば、あの伊藤マンショもここで学び、あのグーテンベルク印刷機もあったとか。これは見るしかない。

コレジオ館は、町役場の図書館みたいな建物で、あやうく通り過ぎるところだった。
クーラーも聞いていて、展示物も興味深く見学できた。


キリスト教が禁教になって、このコレジオが閉鎖され、ここで学んだ人々は、それぞれの人生をたどったというようなことが書いてあったが、その中に、僕と同じ性の人がいて、その人はマニラに行ったとのことだった。
同じ姓というだけだが、なんとなくその人のことに思いをはせる。

次に牛深を目指す。実は同じ熊本県民でありながら、まだ牛深に行ったことがなく、そのことを誰かに責められたことわけでもないが、馬本県民として、これまでそのことに対する罪悪感みたいなもやもやがずっとあった。

ようやく、その罪悪感から解放されるのだ。期待感が膨らむ。
ぎらぎらする日差しの中を、ひたすら南下する。
途中、あの有名な茂串海岸にも、エンジニアブーツでわざわざ寄ってみた。
海水浴客の中に、エンジニアブーツ野郎は明らかに場違いであった。

にわか雨がさあっと降り、すぐにやんだ。
熱帯の土地みたいだ。

牛深ハイヤ橋を渡り、町中の有名なちゃんぽん屋に行こうとしたが、昼休憩で閉まっていた。

牛深ハイヤ橋を渡る

町をブラブラ走ってみたが、どこを見るべきかもよく分からず、あっという間に通過し、牛深を出てしまった。

なんとなく物足りないが、まあいいか。
ハイヤ祭りの時に一度来てみたいな。

牛深訪問達成である。

そのまま国道を北上し、本渡を目指す。
ずっと山道を走る。
途中、亀川ダムを眺め、イオンを通り過ぎ、本渡に入る。

今日最後の観光施設、天草キリシタン館に行く。
キリスト教関連施設周遊券の4つ目。これでコンプリートである。

市街から坂道を上り、小高い丘の上に天草キリシタン館はあった。
天草キリシタン館の前の駐車場にバイクを停める。
小高い丘からは、本渡の街が一望でき、海も遠くまで見通せる。
素晴らしいロケ―ションだ。

天草キリシタン館から本渡の町を眺める

建物の中には、あまり人はいなかったが、クーラーがとても気持ちよく効いていた。ちょうど、あの日本史の教科書で見る島原の乱での天草の陣中旗の実物が、期間限定として特別展示してあった。

綸子地著色聖体秘蹟図指物(りんずじちゃくしょくせいたいひせきずさしもの)
(天草四郎陣中旗) / 天草市 (city.amakusa.kumamoto.jp)

本物である。
間近で見ると、血の跡が見える。本当に島原の乱で使われたのだ。
正直、ここ本渡に、その本物があるとは知らなかった。

すごいものを見ることができた。
これが数年前までは、これが福岡の個人蔵だったというから驚きだ。
こんなものを個人で所有するというのはどんな気分なのだろう。

陣中旗の入ったガラスのケースの前で、小さな男の兄弟を連れたお母さんが、小さな声で、子供に説明している。

今日一日で、キリスト教関連施設を4つ巡った。まるで社会科見学のようなツーリングだった。天草の歴史をすごく身近に感じることができたし、世界遺産に選ばれたその歴史、ストーリーを知ることができた。

外に出ると、日差しが少し弱くなっていた。陽が傾き始め、夕方の柔らかい風が少し吹いていた。

さあ、では、今日のキャンプ場に行こうということで、スマホで、場所を確認する。
若宮公園キャンプ場というところにする。

本渡市を、北に進み、20分ほどで若宮公園キャンプ場につく。
無料であるが、海沿いの全面芝生のキャンプ場のようだ。

やはりもうキャンプブームは終わったのか。
ここにもほとんど人がいない。1人、ソロキャンパーがいるだけだ。
1人なのに、すごく重装備で、何でもそろってそうである。

なので、その人からなるべく離れたところにテントを張る。
静かだ。
目の前は海水浴もできる浜辺のようで、親子が浮き輪で遊んでいる。

陽が暮れる前に、夕食を買いに、近くのスーパーに行く。
ソロキャンパーは炭火で肉を焼いているようだ。
暑そう。

夕日に染まる海水浴場の親子をシルエットで眺めながら、スーパーで買ってきたレタス巻とビールを食べる。
夏だなぁ。
親子を見ながら、大きくなった息子たちと過ごした夏を、なんとなく遠くに思い出す。

夕陽の海岸を眺めながらのビールと夕食

夕食を食べ終わると、テントに潜り込み、しばらくヘッドライトの明かりで本を読みながら、ウイスキーを飲む。
夜はムーンロードが見えた。

テントから眺める夏のムーンロード

時折、遠くでフェリーの汽笛が聞こえる。

 

天草世界遺産を学ぶ旅~1日目~

今日のルート

8月3日(木)

9:30出発。曇り。
どんよりした空。早くも雨がパラパラ。
しかし、予定通りに出発。人吉ICから高速にのる。

8月にしては、暗い山を眺めながら北上。
八代IC前、最後のトンネルを抜け、八代平野に出た瞬間、真っ青な青空。
入道雲と強い日差し。
夏の朝の空である。

もう、エーである。山を越えただけで、こんな違う?
台風6号の影響もまだ山の影響か、ここまでは来ていないようである。
何か悔しいが、夏の晴れた青空は、それだけで気分があがる。よしとする。

氷川町のコンビニで、虫よけスプレーを購入し、今日、宿泊予定のキャンプ場の管理者である苓北町の観光案内書に電話をして予約をする。
夏休み期間中だから、もしかして満杯かと思ったが、大丈夫らしい。

さらに国道3号線を北上し、宇土から国道57号線に入り、三角を目指す。
右手には、青空の下、穏やかな不知火海が見える。
その奥には、島原の町と普賢岳が見える。
すぐ、そこのような気がする。泳げば渡れそうなくらいである。

宇土御輿来海岸付近で 向いは島原半島

三角西港でしばし休憩。
ベンチに腰掛け、海を眺めながら、今日の昼飯の店をスマホで探す。
多角的に考察した結果、ここから割と近い、「吉珍保斗」という定食屋に決定。
「吉珍保斗」はキッチンポットと読むらしい。
横浜銀蠅とか、あの時代リスペクトのお店かと思いながら、店内に入り、チキンカツとエビチリのAセットを注文したが、すごくおいしい。
量も十分で、チキンカツもふわふわ、それに大きなエビが入ったエビチリもおいしい。植木の「大盛食堂」に匹敵するのではなないか。
当たりである。

腹いっぱいになったところで、天草を西に向け出発。
太陽がギラギラして痛いぐらい暑いが、海の広い視界と青と白のコントラストがさすが天草である。
風が心地よい。
夏の中を走っているんだと感じる。
道も車も少なく、マイロード状態。
エンジン音も軽やか。

真横に島原半島を望む 南島原市付近か

本渡市には、最近できたという大きな橋のおかげで、混むこともなく、一気に町を通過し、五和町を通り、苓北町に入る。

苓北町のコンビニで、ミルクックを購入。
氷の冷たさでクールダウンしつつ、甘さが日焼けした体に染み渡る。
がりがり君もいいが、九州の夏は、やはりミルクックも外せない。

今日宿泊予定の白岩崎キャンプ場はすぐ近くのようで、まだ15:00ぐらいだったが、とりあえずもう今日は行くところもないので、早めに観光案内所に行き、1000円を払う。

係の人からは、今日の予約はあなただけなので、お好きなところにテントを張ってくださいとのことだった。
8月夏休みに、逆に心配になる。もうキャンプブームは終了したのか。

地図を頼りに白岩崎キャンプ場に行く。
キャンプ場は大きくはないものの、きれいに清掃された丁寧なキャンプ場という印象。

午後の太陽の日差しがさらに凶暴さを帯びてきたので、芝生のテントサイトはやめ、コンクリート造りの大きな東屋の下にテントを張る。
東屋からは海も見える。

誰もいないキャンプ場 東屋の下にテントを張る 

東屋の下は日陰で涼しい。風も気持ちよく通る。
苓北町は、一時期、何度か来たことがあり、その時に、富岡城にも行ったし、あの有名なちゃんぽん屋さんにも行ったし、もうのんびりキャンプ場で夕日を待つことにする。

椅子を出して、片岡義男の「ターザンに教えてもらった」という単行本を読む。
ずいぶん昔に買った本だ。アメリカを感じるエッセイだ。もうずっと昔、そうした片岡義男の書くアメリカにすごく憧れた時期があった。

多分、オートバイに憧れたのにも、ハーレーに憧れたのも、片岡義男の影響は少なからずあるのかと思う。
あの時代は、今みたいにインターネットもSNSもなく、手に入る情報も今よりずっと少なかったが、その分、手に入れた情報から受ける影響は大きかったような気がする。

九州の西の端の島の西海岸のキャンプ場で、そんな片岡義男のエッセイを読みながら、あの頃、好きだったもの、憧れたもの、信じていたものなんかを思い出しながら、いつの間にかウトウト寝てしまった。

目を覚ましたのは、18:00前で、ずいぶん日が西に傾いていたが、まだ明るい。
椅子に座って海を眺める。
今日は、いい夕日が見えそうだ。

バイクに乗って、食料の買い出しに行く。次第に暮れかけた海沿いの道を走り、地元のスーパーに行ったが、不思議なことに何か食指が伸びず、さっきのミルクックをかったコンビニで、カップ焼きそばとおにぎり、袋ラーメン1つ、そして、ビールとウイスキーを購入。

夕暮れの光が、町の全てを黄金色に染める。この町を走る国道は、サンセットロードと言われるぐらい、夕暮れが有名なところでもあり、海も濃い黄金色に染まり、キラキラしている。
そんな夕暮れの中、暖かい空気の中をバイクで走ると、何か遠く昔に体験した夏の夕暮れを思い出せるような気がした。

キャンプ場に戻り、浜辺に降りる階段を、椅子とビールもって下り、東シナ海に沈む絵画みたいな夕暮れを、ビールを飲みながら、ゆっくり眺める。

周りには誰もいない。
このサンセットは、僕だけでのサンセットである。素晴らしい。

印象派の絵画のような、海に沈む夕日を、遠く西の海に沈むまでじっと眺めていた。
陽が沈むと、空がピンク色になった。

東シナ海に沈む夏の夕陽

東屋に戻り、ヘッドランプを付け、村上春樹の「雨天炎天」を読みながら、焼きそばとおにぎりを食べ、ビールを飲む。
村上春樹の「雨天炎天」も僕の旅の一冊だ。何度も同行してもらっている。
同じところを何度も読む。
今回は、ギリシアの旅だ。
話の筋はすっかりわかっているのだが、旅先で、ヘッドライトの光ので読むと、
その度に、違った印象を受ける。

ウイスキーを飲む。
思ったよりも気温が下がらず、暑い。うとうとする。

夜中、何台かの車がキャンプ場にグワーと大きな音を立てながら入ってきた。
エー、今頃、うるさいなぁ、地元のヤンキーだったらいやだなぁと思いつつも、眠気には勝てず、そのまま寝てしまった。

熊本、鹿児島、宮崎3県横断ショートトリップ

我が家のある人吉市は、熊本県の南、鹿児島県、宮崎県とその境を接する位置にあるめ、鹿児島や宮崎はすごく身近である。

方言も、同じ熊本県の北部とは違い、やや南部九州よりであり、文化圏としても、鹿児島県、宮崎県にはすごくシンパシーを感じる。

そこで、今日のような、よく晴れた休日の何も予定のない午後は、ふらっと熊本、鹿児島、宮崎3県横断ショートトリップが可能となる。

よく行くお気に入りのコースの一つを、今日は14:00すぎに自宅発。
まず、県道267号線入り、伊佐を目指す。
峠越えの山道で、梅雨の晴れ間の山の緑が美しい。

国道267号線で

こうして、山を見ると、山にはほんとに何種類もの緑色があることが分かる。
高校の同級生でファッションデザイナーになった友人いるが、その彼が雑誌のインタビューで、自分が人よりも色彩感覚が優れているとすれば、小さいころから、ずっと山が近くにあったからだと答えていたのを思い出す。

 

久七峠を越えて伊佐市に入る。

今は、この久七峠は大きくて長いトンネルができて、伊佐市までも30分もかからず行けるが、小さいときの記憶では、曲がりくねった欲しい道で、すぐ車酔いしていた記憶しかない。

 

久七峠を越えて伊佐市に入ると、急に視界が開け、一面の畑が広がる。

伊佐市の畑

新しくできたバイパスで市街地をパスして、鹿児島の湧水町を目指す。
車も少なく、自分の気持ちいいペースで走る。
天気も良く、青空で、道は一本道。マイウェイである。

顔にあたる乾いた風が心地よい。
山の栗の花の匂いがする。

バイクで走っていると、いつも感じるのだが、自分の体に溜まっていた澱みたいなものが少しずつ剝がれていくような、体がすっと軽くなるような気がする。

 

鹿児島の湧水町から、宮崎県えびの市に入る。
右手に霧島連山が見える。
一番奥が韓国岳だ。
今日は、新燃岳からは煙はでていないのかな。

えびの市から霧島連峰を望む

えびの市からはまた山道に入り、ループ橋を越え人吉に戻ることになる。
峠道だからだろうが、所々グル―ビング工法がされており、非常にうっとおしい。
眼下にえびの町が見える。

えびのの町を眼下に眺める

加久藤トンネルを越え、熊本県に戻る。
ループ橋を下り、緑の木々の中を走り、16:00ごろ自宅着。

ループ橋

信号停車以外、一度も停まることなく、
のんびり走って2時間弱の気持ちよい日曜日の午後のショートトリップ。

 

さあ、また、明日から仕事だ。