5月4日(土)
朝、5時30分に目を覚ます。
フライシートが青だから、陽が登ると、テントの中は淡く青い光で満ちている。
ジッパーを下げて、外に出る。
テントは朝露でしっとり濡れている。
朝のきりっとした冷ややかな濃い空気を胸いっぱい吸い込む。
今日も天気は良さそうだ。
バーナーでお湯を沸かし、河原の石に腰掛け、コーヒーを飲む。
コーヒーを一口飲むたびに、少しずつ体が目を覚ます感じがする。
ファミリーキャンパーはまだ寝ているようだ。
スマホの充電を見る。今日も30%から進んでいない。電池式ではこれが限界なのか。決して安くないのに、こんなのでは使えない。がっかりだ。充電器に大量の乾電池、無駄になった。
今回の旅は、スマホの充電、ファミリーキャンパーが僕の前に、まるで僕の旅を遮る敵として立ちはだかる。
まあ、仕方ない。
スマホがなくてもそれはそれでいい。
ほんの10年前までは、だれもスマホなんて使わずに旅をしたのだ。
旅は、タッチパネルではなく、直接、素手でドアをノックするのだ。
まあ、そんなことをうだうだ考えながら、パッキングを済ませ7時前に松山市を目指し出発。
陽がのぼりはじめた。
今日も天気になるようだが、いかんせん朝早い時間、山間の道は、そのほとんどが山陰に隠れ、寒い。
冷たい空気をジェットヘルで受けとめながら、松山市を目指す。
伊予市に入るころになると、日差しも暖かくなった。
道の周りの斜面はほとんどみかん畑だ。
そのみかん畑が延々と続く。
道はやがて大きなバイバスに入った。
町が近いようだ。
道端にファミリーマートを見つけ、バイクを停める。
朝もまだ何も食べていないし、イートインでスマホを少しでも充電しよう。
菓子パンとコーヒーを買い、イートインで充電しながら、文庫本を読む。
外はすごくいい天気だ。
イートインからは見える景色は明るい陽射しを受け、バイバスを走る車がキラキラ光って見える。
結局、1時間ほどイートインに居座って充電したが、35%までしか上がらない。
もういい、これ以上時間を使うのももったいない。
さあ、松山を目指そう。
56号線をさらに北上し、伊予市街を抜けると、松山の街が遠くに見え始めた。
しばらくすると前方の山の上に、松山城の天守が小さく見えた。
ああ、松山城だ。
日本三大連列式平山城の一つだ。
こんなふうに見えるのか。
ちなみにあと2つは、姫路城と和歌山城だ。
きっと高知城は第4位だろう。
松山市内に入ると、松山城の威容が少しずつ大きくなって見える。
街の真ん中を電車が走っている。
緑の多い街だ。
雰囲気が熊本市と似ている気がする。
高知市も熊本市に似ていると思ったが、高知市それは、夏の熊本市だ。
松山市のそれは、春の熊本市だ。
松山城を目指し、街の案内板に沿って進む。市役所の前を通り過ぎ、県庁の手前から左折し城山に入る。
県庁の後ろの城山の山頂に松山城がそびえている。
県庁は戦前の建物なのだろう、すごく重厚な古めかしい庁舎だ。
こういう建物が残る街は厚みが違う。
県議会棟の脇の駐輪場にバイクを停める。
お城へのロープウェイ乗り場は県庁のさらに向こう側にあるらしい。
案内板を見ると、ここの坂道からも登れるらしいが、ロープウェイで登るような道を歩けるのか。
エンジニアブーツだし。
ロープウェイ乗り場まで移動しようかと考えていると、その坂道を、ゆうに70歳オーバーとおぼしきおばあさんがすたすた降りてきた。
思い切って話掛ける。
「すいません、ここから松山城まで行けますか?」
「いけますよ」とおばあさんはにこっと笑顔で答えてくれた。
「やっぱり歩くとずいぶん、時間かかるんですかね」
「いえいえ、そんなことりませんよぉ、私みたいな年寄りでも15分ぐらいで行くから、あなたみたいな若い人なら10分もかからないじゃない」
「いや全然若くないんですけど、そうですか」と僕も笑いながら答え、
「じゃあ、歩いて行ってみます」と言った。
「いってらっしゃい」とおばあさんは言ってくれた。
すごく知的な感じのすご老人だ。
さっそく革ジャンを脱ぎ、坂を登り始める。
登り始めてすぐ、トレッキングで使うような杖をダブルで使いながら降りてくるおじさんやワイシャツ1枚で汗びっしょりで降りてくるサラリーマン風の男性らとすれ違った。
あのおばあさんは簡単みたいなことを言ったけど、ホントはすごいきついんじゃないのかと心配になるが、城山の緑の木々がつくる深い日陰の中を少しずつ進んでいくのは、悪い気分ではない。
眼下に見える松山の街を見ながら、今、自分は知らない街を探訪する旅人なんだと感じる。
おばあさんの言ったとおり、10分ほどでロープウェイの到着駅に着いた。
そこから、さらに石段をのぼると城門に着いた。石垣の間から連立天守が見え、気持ちが昂る。
さすが、正岡子規が「松山や秋より高き天守閣」と詠んだお城だ。
城門をくぐると、山頂の広い場所に着いた。ここが本丸なのだろう。松山の街並みが眼下に見える。すごくいい見晴らしだ。
本丸はもうすでに大勢の観光客で溢れかえっている。
天守に入るため、チケット売り場に並ぶ。
もう30人ほど前に並んでいる。目の前の天守閣を眺め、パンフレットを読み、ふと後ろを見ると、さらに50人ぐらい並んでいる。
うしろのカップルが、すごくイチャイチャしてして、男が、お城を見たら、どこどこに行って、そのあと、なんとかという店を予約しているからと言うと、女が「うわー予約してくれたんだ、うれしー」なんて話をしている。
天守へは入場者の人数規制がしてあるようで、門の前でしばらく待った。
連立天守の複雑な作りが目の前にある。
団体客が門から出てきて、石段を下りていくと、警備の人がどうぞと言った。
門をくぐる。
連立天守の囲みの中だ。
思ったよりもずいぶん小さい。
天守の中に入る。
松山城も現存城だ。
三層の小さな天守に登ると、さらに遠くまで松山の街が見通せた。最上階には、一角に畳が敷いあった。めずらしい。
天守から松山の街を眺めていると、アジアからの観光客だろう、若いカップルから「写真、お願いします」と頼まれた。
「OK」と答え、写真を写し、男のほうにカメラを戻すと、すぐに画像を確認し、肩をすくめるような表情をして、小さくサンキューとだけと言った。
気に入ってもらえなかったようだ。
残念。
狭く急な階段を降り、石垣の小さなかけらを一つ拾って、門を出る。
出るときに、もう一度天守を見上げる。
ようやく、松山城に来れたんだとしみじみ思った。
松山城のプラモデルを作って、その雰囲気を想像していた小学生の頃の、日曜日の実家の縁側を思い出す。
天守から出ると、日差しが一段と強くなったような気がした。
お城へ入るための行列がさっきよりも随分長くなっている。
次に目指すは湯築城だ。今回、四国を巡ることを計画したときに、初めて知った城だ。日本100名城にも入っているが、全然知らなかった。
それが、松山市にある。
調べると道後温泉のすぐ近くのようだ。
まあ、行くだけ行ってみよう。
県庁の前を通り、大きな繁華街を通り、電車通りに沿って進むと、すぐに湯築城のある道後公園に出た。駐輪場にバイクを停める。
湯築城跡には城山があるだけで、城山のすそに資料館があり、小さな館が2つ3つ復元してある。
資料館というより案内所みたいなところで、平屋のワンフロアに城跡からの出土品やパネルが展示してあり、奥の部屋で湯築城の由来のビデオを上映していた。
定年退職しボランティアでお城案内やっていますという感じの年配男性が他の観光客に熱心に出土品の説明をしている。
館内はクーラーが効いていて涼しい。壁にコンセント発見。
係の年配男性に、充電していいかと訊くと、どうぞとのこと。
スマホを充電しつつ、由来ビデオを見る。
充電時間を延ばすために、2回も見た。
結局30分くらい充電して、お礼を言って資料館を出た。
「どこから来たの?」と別れ際に係の年配男性が尋ねてくれた。
「熊本です」と答えると、「熊本城だね」と言った。
「ですね」と答えると、「早く復興できるといいね」と彼は言った。
「ありがとうございます」と答えた。
資料館を出て、復元された館を見学した。
駐輪場にもどると、さっきの年配男性がいて、覚えてくれたらしくニコッとしてくれた。
「道後温泉は近くですか」と尋ねると、
「ここをまっすぐ行って歩いて10分ぐらいかな。行ってみるといいよ」ということだった。
「けど、人が多いと思うよ。昨日はなんでも温泉は30~40分待ちだったようだよ」と教えてくれた。
そこで、駐輪場にバイクを停めたまま、お風呂の準備だけして、道後温泉に歩いた。
湯築城は、その城山全体が公園になっており、木製ベンチには多くの地元の人がいて、涼んでいた。木陰が気持ちよさそうだ。
道後公園を抜け、正岡子規文学館を右手に見ながら、さらに進むとすぐ道後温泉に着いた。
歴史あるあの有名な建物が、いきなりどんと目の前に現れた感じでびっくりした。
山鹿の桜湯と似ているなと思った。
勿論、こちらが本家本元なんだろうが。
まわりは近代的と言うか、普通のビルや土産物屋に囲まれており、あの建物だけが、明治の時代を醸し出していた。
「お風呂の方はこちらです~」という係の人の声が聞こえ、行ってみいると、「15分待ちです」と言うことだった。
ラッキー、ということでその列の最後尾に並ぶ。10分もしないうちに入場することができた。入浴料410円。
入ったのは、いくつかある湯殿の中で、「神の湯」という湯殿だった。クラッシックな銭湯という感じで、湯船は白っぽいタイルばりで広く、そして深かった。
実は、この旅で一度も風呂に入っていないのだ。
しかも、一度も着替えていない。
Tシャツも靴下もパンツもこの4日間はずっと着続け、履き続けだ。
道後温泉、ごめんなさい。
もちろん、湯船につかる前にしっかり洗ってから入った。
湯船の気持ちよいこと、このうえなしだった。
千と千尋の神隠しのあの真っ黒い神さまが湯につかって、ぶはっあぁというシーンそのものだ。
自分が真っ黒の神様だ。
体中の疲れや緊張が一気に湯に溶け出していくような気がした。
湯船も、洗い場もほぼ満員ではあったが、天井が高く、湯船も深いため、窮屈な感じはしない。
ゆっくり湯につかる。
道後温泉を出て、ベンチに腰掛け、汗をぬぐっていると、隣では、同じ風呂上がりの強面のおじさんがおいしそうにビールを飲んでいる。
日差しは強いが、ひさしぶりの風呂と新しいTシャツが気持ちいい。
時折吹く風がさわやかだ。
息子へのお土産として、道後温泉の手ぬぐいセットを購入。
妻には、道後温泉オリジナルの十六タルトを購入。
昼食として自分用に鯛めしとポンジュースを購入。
ザ・愛媛の組み合わせだと一人ほくそ笑む。
湯築城にもどり、木製ベンチで昼食。目の前を坊ちゃん電車が走っていく。
さあ、次の目的地は今治城だ。
お土産をパッキングしていると、おじさんが近づいてきた。
バイクのナンバーを見て、
「おっ、熊本からかぁ」と言う。
はあと愛想笑いをして答えると、これからどこに行くのか?と聞いてくる。
今治に行こうと思っていますと言うと、海沿いの道がお勧めだと言う。
なるほど、僕もそうしようと思っていたところで、そのおじさんの言う通り、「じゃあ、海沿いを行きます。この道をいけばいいんですよね」と言うと、「そうそう、ここをずっとまっすぐや」と言う。
「気を付けて、いい旅をな」と言って、おじさんはいなくなった。
「いい旅を」か、いい言葉だ。
またも片岡義男的だ。
海沿いの国道196号線の午後の日差しはあまりに強く、顔が痛い。唇は日焼けでひりひりする。紫外線も強烈なのだろう。
仕方なく、あまり行儀はよろしくはないかとは思うが、顔をバンダナで覆う。
Wの革ジャン。
ジェットヘルに、サングラス。
顔半分は赤いバンダナ。
昔のアウトローバイカーに出てくるような出で立ちだ。
このスタイルで、チョッパーハンドルのハーレーで走っていると、途中、ヤンキーバイクの連中が、歓声を上げながら、こちらに手を振ってくれる。
一応こちらも手を挙げて答えるが、申し訳ない、君たちは誤解している。
僕は君たちの先輩ではないし、君たちが忌み嫌う立場の人間なのだ。
しばらく走っていると、ドコモショップ北条店というドコモのショップが見えてきた。
まだ、日差しも高いし、今日の目的はあと、今治城を見るだけだ。
暑いし、時間にもまだ余裕がるなあということで、ドコモショップで1時間ほど充電させてもらうことにする。
お店に入って充電をお願いすると気持ちよく受けてくれた。
調子に乗って、本体だけでなく、充電池への充電もお願いする。
旅の恥はかき捨てである。
こんな客とも呼べない僕にアイスコーヒーまで出してくれるドコモショップ北条店は素晴らしい。もう少し距離が近ければ、次はこの店で新しい機種を購入したいぐらいだ。
クーラーの聞いた店内で、アイスコーヒーを飲みながら、文庫本を読み、時間を潰す。
1時間後、お礼を言って店を出る。スマホ本体56%に、充電器に残量少々、旅もあと1日、これで持つだろう。
それにしても、スマホの充電に振りまわされる旅である。
他のキャンプライダーたちはどうしているんだろう。
海沿いの道を今治目指してさらに走る。
空は高く、海はひたすら青く、今は走ることだけを考えていればいい。足元ではビッグツインモータが調子よさげにカシャカシャ動いている。
瀬戸内の海はキラキラと静かな波に、太陽の光を映し出している。
やがて今治市街という案内板を見つけ、その指示に従い、左折する。
そのうち、やたら道が狭くなり、どうやら迷ったらしいことに気付く。
日本国内、案内板だけで目的地に着こうとするのは難しい。
もう少しどうにかならないものか。
路肩にバイクを停め、スマホで、現在地を確認するが、今いち、よく把握できない。
そこにちょうど地元の高校生らしい男子2人組が通りかかり、今治城はどっちの方向かなと尋ねると、「こっちがじゃないですよ、あっちの方です」と後ろを振り向きながら、反対方向を教えてくれた。
「ありがとう」とお礼を言い、そちらの方を目指す。
それでも分かったのは方角のみで詳細な場所はわからない。
とりあえず、そっちに向かうと、なにか見つかるだろう。
たぶんこのままいけば見えてくるだろうなというあたりで、信号停車。
ちょうど目の前の横断報道を渡ってきたベビーカーを押した若いお母さんに
「すいません。今治城はこの辺ですかね」と尋ねると、「知りません」と即座にばっさり言われる。
はあ、地元だろうにと思いながら、青信号になって直進すると、すぐに今治城左折の看板があった。
「あやつめ、なぜ知らんぷりをした」と思ったが、多分、こんなバイクに乗った革ジャン野郎なんかと関わり合いになるもの嫌だったんだろう。
左折すると、堀の中にまるで浮かぶように立つ今治城が見えた。
今治城は、海のすぐそばの平地に立つ5層のお城である。
ここは四国では珍しく復元城であるが、あの藤堂高虎の城である。
陽が少し東に傾き、西日のまぶしさがつらい。ぎらぎらする日差しと照り付ける暑さで、不快感、この上ない。
駐輪場にバイクを停め、大きな門を越え、天守に入る。
入場料500円。松山城が400円だったことを考えると、割高感、この上なし。
復元城らしく、各階には武具や書物などが展示してあるが、特に興味を引くものはない。
ただ行ったいうだけだ。
今治城が悪いわけでなく、暑くて、きつくて自分の気持ちに余裕がなかったから、そんな風に思ったのだろう。
少し疲れてきたのかもしれない。
城を出た後、堀の前のベンチに座り、スマホで近くでキャンプできそうな場所を探す。2~3か所、良さそうなところがあったが、「瀬戸内の海に沈む夕日がきれい」という鴨池海岸公園を選択。
30分ほどかけて、鴨池海岸公園につく。
ついてみてビックリで、その公園の芝生のところがキャンパーに開放してあるようなのだが、びっしりファミリーキャンパーで埋め尽くされていた。
ソロキャンパーは自分一人ではないかという感じだ。
あちゃーとは思ったが、もう今更なので、少し離れた海岸端に一人ひっそりテントを張る。
テントの開口部を海側に向けると、目の前は海しか見えず、まるでこの海岸に一人きりという雰囲気で、開放感は最高である。
おまけに、ネットの情報にあった通り、目の前の海に、大きな夕日がある。
急ぎ、近くのスーパーでビールや夕食を物色。
これぞ愛媛、これぞ今治というような食材は見つからず、昨日以外にもおいしかったカップ焼きそばを再び選択。
ただし、今日はイカ焼きそばにする。
海のそばでのキャンプだからシーフードというわけだ。
沈みゆく夕日を眺めながら、ビールを飲み、お湯を沸かし、カップ焼きそばを食べる。
多分、これが四国で見る最後の夕日だ。
そう思うと、インスタント焼きそばにも「感傷」という名のスパイスが効き、さらにおいしくなる。
やがて、夕日は瀬戸内の海に溶け、夜の帳が下りた。
海岸の奥にある造船場には明かりがいくつも灯っている。
まだ操業しているのだろう。
浜辺では、若い家族が花火を始めた。小さい女の子のキャッキャいう声が聞こえる。
そんな声を聞きながら、一人静かに飲むビールも悪くない。
スマホで、トミーフラナガンのヴェルヴェットムーンを聞く。
自分がこのまま夜の闇に溶け込みそうだ。
一人であるという気ままさと、一人であるという若干のさみしさ。
これが自由ということだろう。
ただ、帰る家があるという安心感があってのことだとも思う。
いずれにしても、若い頃はずいぶんバイクで旅をしたものの、やがて50代を目前にした今、こうした旅ができることへの幸運と感謝を忘れてはいけないと、真っ暗な海とその静かな波の音を聞きながら素直にそう思う。
二本目の500mlのビールを飲み終えると、寝袋に潜り込み、ヘッドランプでの灯りで文庫本を読む。
今夜は後ろのファミリーキャンパーのことが全く気にならない。
ここのファミリーキャンパーはお行儀がいいのかな、僕が慣れたのかな。
【走行距離 117km】