僕の旅はまだまだ続く

ハーレーを中心とした旅の記録

2019_四国旅1日目


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【今日のルート】人吉から尾道まで

4月30日(火)

 朝6時。

夜中降っていた雨は止んでいたが、今にも降り出しそうな曇天の空。
少し弱気になる気持ちを振り払い、バッグをオートバイに括り付け、少し迷って、レインウェアを着込み、長靴を履いてバイクにまたがる。

草取り用の厚手のビニル手袋。さらに、ブコのジェットヘルにクリアのシールド。
見た目は悪いけど、雨対策は多分、これで大丈夫。

ただ、レインウェアは息子が高校生の頃使っていた自転車通学用というのが少し不安。本当はレインウェアじゃなく、カッパと呼ぶのが正しい代物。

 

7時、まだ雨は降り出さない。
平成最後の朝、久しぶりのロングライド。静かな興奮と大きな不安。
寝ている家族はだれも起きてこない。
ガレージからオートバイを出し、一人静かにと心では思いながら、爆音けたたましく出発。
白くかすむ 球磨川を渡り、ガソリンスタンドで満タンにし、人吉ICから高速に。

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 オートバイのエンジン音が山間に響く。
朝の山間の空気は冷たい。

 坂本PAあたりで心配していた雨が降り出す。
強くはない。降ったり、止んだりの繰り返しの中、走り慣れた九州道をひたすら北上。

 山川SAあたりで、本格的な土砂降りの雨。シールドにたたきつける雨で前が見えず、手をワイパー代わりに、シールドを拭いながら走る。

 広川SAを過ぎたあたりで、少し空が明るくなった。
雨はいつの間にか止んでいた。

久留米ICを少し越えると、筑後川にかかる四角い鉄骨の橋を渡る。
クリーム色に塗られたその橋を渡るとき、いつも、映画「イージーライダー」を思い出す。BGMはバーズ。

白く靄がかかってぼんやりくすぶる景色の中、筑後川と空を眺めつつ、橋を渡る。
ゴールデンウィーク中とはいえ、まだ朝早く、車も少ない。

大宰府ICまでノンストップで走る。

大宰府ICで高速を降り、そのまま都市高速に乗る。
前方に福岡の街が少しずつ見えてくる。

 

大学時代、この街で通算6年間を過ごした。
もう30年近く昔だ。

あの頃の福岡の街は、新しく変わろうとする都会的なものと、変わらずのんびりとした田舎的なものが隣あっているような印象だった。

よかトピア」が終わったばかりで、マリゾンのあたりはまだ何にもなく、ただの草っ原だった。
大学の廊下からは、マリゾンとその先にある海が見えていた。
都市高速も百道と香椎、大宰府と2系統しかなかった。

いい意味で田舎だったから、人吉から出てきたばかりの18歳の僕でもすんなり溶け込めたのだと思う。

それから30年、僕がすっかり歳取った間に、福岡の街はすっかり大都市に変貌した。

右手に空港を眺めながら都市高速を百道のほうへ進む。
香椎との分岐にある白岳の看板を見て、少しだけ誇らしい気持ちになりつつ、天神中央で降りる。

大宰府ICからここまでは、長浜ラーメンを食べるための寄り道だ。

店の脇の従業員通路の端にオートバイを止め、手袋を外し、カッパの上だけ脱ぎ、ショットのライダースのジッパーを下げる。
大きく息を吐く。緊張していた体がふっと弛緩するのが自分でもわかる。
時間は9時30分。ノンストップでここまで来た。

店員さんに「かた」と声をかけつつ、一番奥の大きなテーブルに座る。
麺は「かた」。それに、紅ショウガをたっぷり乗せ、ゴマをばさっとかける。
それが学生時代からの僕の食べ方だ。

申し訳ないが、元祖は一般的には決しておいしいラーメンではないと思う。
スープは濃かったり、薄かったりするし、肉は小っちゃいくず肉だけど、自分的にはずっとナンバー1である。

なぜだろう。クセになるのである。定期的に無性に食べたくなる。
元祖ファンの他の人もそうだろう。

予備校の時、ラーメン通を自称する英語講師が、その答えを教えてくれた。
「時々、無性に食べたくなるのは、味の素のせいですよ」と。
「味の素を使うラーメンはだいたいそういう傾向にありますね。でも、別に味の素が悪いわけではないし、使っているラーメン屋は実際、多いですよ。そういうラーメンを我々の間ではアトムラーメンって呼んでます。化学調味料を使っているから、科学の子、だからアトムなんです。長浜もそうでしょ。まあ、私はそんなラーメンは食べませんけどね」と。

うそかホントかはわからないし、アトムラーメンっていう呼び方、その講師以外に誰からも聞いたことがない。
でも、元祖を食べるたびに、その話を思い出す。

その通りかもしれない。

店を出ると、雨は止んだままだったが、空は相変わらず濃い雲に覆われ、今にも降りそうにだ。
途中で雨が降り出し、路肩でカッパを着込むのも面倒なので、ここで、もう一度カッパを着込むことにする。

濡れたカッパを再び着込むのは、ライダースの上とはいえ、気持ち悪い。さらに濡れたビニル手袋もはめる。

カッパを着込んだミシュランマンのごとき着ぶくれライダーを、犬を連れた散歩中の唐人町高層マンション住まいおしゃれおばさんが胡散臭そうな目で見てくる。

まあ、仕方ない。たしかに胡散臭く見えるだろうなと、僕も思う。

 

昭和通りに出て、大博通りを越え、国道3号線に入る。
箱崎を通ると、解体されている九州大学の建物が見えた。
糸島のほうに新しいキャンパスができたらしいが、まだ行ったことはない。

自分の母校ではなし、特に九州大学に思い出はないが、解体されている九州大学の建物を見ると、思い出も解体されるようで何か切ない。

そんなことを考えながら、左右をきょろきょろしつつ三号線を北上する。

 香椎を過ぎ、和白を通り、北九州を目指す。
新宮や古賀のあたりがすごく街になっているのに驚いた。3号線の両脇には、びっしりと全国チェーンの大型店が並んでいる。
見ているだけで、息苦しい。

息苦しさを抑えつつ、その一角にあるガソリンスタンで1回目の給油。

古賀を抜けると、少しづつ車の流れもスムーズになり、周りの風景にも緑も増えてきた。

宗像を抜け、赤間を通過し、遠賀川を渡る。
水巻から黒崎に入る頃には、交通量も増え、車の流れに乗ってひたすら走る。

 

八幡に入ると、左手に大きなコンビナートが見えた。北九州工業地帯という昔、社会科で勉強した言葉と石井聰亙の「爆裂都市」を思い出す。

小倉で駐車場の広いコンビニを見つけ、そこで、ようやくカッパを脱ぐ。
福岡からここまで一度も降らなかったし、空も明るくなってきた。
もう降らないだろう。

長靴からようやくレッドウイングに履き替える。
それだけで、なんだか体が軽くなった気がする。

 

ようやく本来のライダースタイルにもどり、気分良く走ると、やがて門司に入った。
門司駅前の多くの観光客を、信号停車の間にぼんやり眺める。
そうだ、ゴールデンウィークだよな、平成最後の休日なんだよなと思い出す。

門司駅舎の上のどんよりと曇った空の隙間に、関門橋が見えた。f:id:hiromizo0817:20190727223706j:plain

門司の街から関門橋を眺める

 関門橋は渡らず、関門トンネルを通る。

料金所で100円を払うために、わざわざ停車し、手袋を外し、ジーンズのポケットから小銭を取り出し払い、また手袋をはめる。

 

トンネルの中は、もぁっとした淀んだ空気と汚れた排ガスの匂いが充満しているが、
その気持ち悪いはずの空気は暖かく、冷えた体には妙に心地いい。
この上は海なんだなぁなんて思いながら、ようやく九州脱出。

 

トンネルから出ると、そこは下関市山口県。いよいよ本州だ。
トンネルの中の温かさからすると、曇天の空気の冷たさを余計に感じる。

幸い雨は降ってはいないが、今にも降り出しそうな鉛色の空だ。
九州よりも天気が悪いような気がする。

おいおい、大丈夫か、このままもってくれよと願いつつ、2号線を北上。

 

山口県に入ったら、急に道が広くなった。

これがやはり明治維新から続く政治の力なんだろう。こう目に見える形で示されるとわかりやすい。

しばらく2号線を北上し、長府のバイパスでワークマンを発見。
リストバンドを購入する為に停車。

なぜ、リストバンド購入するかというと、汗を拭くためではなく、革ジャンの手首のところから風が侵入するのを防ぐためだ。寒い日の長距離には、これが結構つらい。
左右1セットで299円。安い。

レジでは店のおばちゃんが「雨がやんでよかったわね」と声をかけてきた。
「昨日は大変だったのよ。一日中大雨で。バイクの人が何人もやってきて、みんな長靴買って行ったわ。雨の日は長靴が一番なんだって」
自分もさっきまで長靴だったし、と思ったけど、そんなことはおくびに出さず、
「へぇ、そうなんですね。昨日は九州もずっと降ってましたからね。今日は降らずによかったです」ニコッと答えた。
「でしょう」とおばちゃんは満足したように笑顔で答えた。

こコミュニケーションだ。

 

レジで、シールをはがしてもらい、そのまま手首にはめ、ライダースの袖のジッパーを上げる。戦闘能力がアップした気がする。

バイパスをさらに北上。
まるで高速のように広く、まっすぐな道が続く。スピードも出る。
しかし、広島までもまだ200km。遠い。

時計を見るともう14:00過ぎ。今日のとりあえずの目的地である尾道までは、まだ300kmもある。300kmと言えば、人吉から門司までだ。
いくら道がよくても、このままだと、たどり着くころには完全に夜だ。
尾道には、キャンプ場がいくつかあるみたいだが、予約はしていない。
予約なしでいいものかもわからないし、この10連休ではキャンプ場はいっぱいということも十分考えられる。

なるべく陽があるうちに尾道には入りたい。

 

しかし、高速は使いたくない。

高速を使うと、特にオートバイだとそれは旅ではなく単なる移動だ。そんなふうに思ってこれまでずっとオートバイに乗ってきた。

旅は、決して急がず、町から町へ、そこにしかない景色を眺めながら、その町の匂いを嗅ぎ、その町に暮らす人の顔を見なくてはならないと、片岡義男と同じように僕もそう考えている。

 

ただ、例外として九州は高速に乗ってもよい。

特に福岡へはもう何度走っているし、道中どんな風景があり、どんな町があるのか知っているから。そういうところでは効率化を図るために高速も使ってもいいのだ。

 

逆に、だからこそ、今回の旅のように、始めていく行く場所へは下道で行くべきなのだ。
めんどくさいと思うが、そうなのだ。

 しかし、ここで、そのポリシーはいったんお休みとする。背に腹は代えられない。

 

幸いに今、高速と並走するバイパスを走っている。
そこで、さっそく次のICから乗ろことにする。

湖に向かってボールを打ち込むゴルフ練習場の横を通りすぎ、ガソリンスタンドで給油し、しばらく行くと防府北ICが見えた。

ここから中国道に乗り込むことにする。

 

ゲートで一旦オートバイを止め、手袋を脱ぎ、チケットを取り、口にくわえ、左手の駐車スペースまで移動し、そこで、チケットを尻ポケットに入れている二つ折りの財布に入れる。そして、再び手袋をはめ走り出す。

オートバイで高速に乗るこの一連の動作も、高速に乗ることをおっくうにする一因だ。
かといって、ETCもつけたくない。
ストリップがチョッパーの基本だ。

 

中国自動車道は、さすがにバイパス以上に広くまっすぐだ。
バイパス以上にスピードを上げ、一路広島を目指した。
やがて、眼下に広島の街が見えてきた。

その向こう、鉛色の空の下に、同じような鉛色の瀬戸内の海が見える。
あの向こうに、今回の旅すべき四国大陸があるのだ。

そう思いながら眺めていると、道はすぐにトンネルの中へと続き、広島の街はあっという間に視界から消える。

 

トンネルを出ると、雨が降り出してきた。
まさか、このまま降り出すのではという不安がもたげてくる。
雨は止んだり、降ったりを繰り返す。強い雨ではないが、少し寒い。
吹き付ける風が少しづつ冷たさを増す。

 

東広島市を過ぎたところで小谷SAに入り、駐車場の縁石に腰掛け地図を広げる。
さて、どこで降りるべきか。
今回使用する地図は、1991年発行昭文社発行、中国四国2輪車ツーリングマップだ。

もう30年近く前の、僕が大学生のころ、日本一周バイクの旅で使用した地図だ。
本棚に埋もれていたのを出発の前夜発見し、持参することにした。

この30年の間にずいぶん道も変わっているだろうとは思うが、まあ、基本的な国道、県道は大丈夫でしょということで、この旅の相棒とする。

もちろん、スマホもあるが、バッテリーのこともあり、なるべく使いたくないし、はやり旅には地図を使うのがツウというものである。

 

地図を見ると、この先の本郷ICまでで高速は終わっている。
30年前はそこまでだが、もう今は、ずいぶん先まで道は出来ているじゃないかと思うが、どこまでできているかわからないし、まあ、本郷ICで降りても、そこから三原市を通り、海沿いを進んで尾道に入ることができそうだ。

よし、それで行こう。
念のため、またカッパを着込む。湿り気が煩わしいが、寒さは少しやわらぐ。

 

時間は3時すぎ。さて、どうなることやら。ちゃんと着けるのか。
空はさっきよりもさらに暗くなったような気がする。急がねば。

 

予定通り本郷ICで降り、三原市を目指し、川沿いの道をしばらく南へ進む。

本郷の中心地で左手に折れ、2号線に合流する。さらに沼田川に沿って北上する。
ところどころテントを張るのにちょうどよさそうな河原がある。

ここでもいいかな、今日はこの辺にしようかとふと思わなくもないが、いやいや陽が沈むまでにはもう少しあるし、なるべく先を目指すべきだと思い直す。

今日の寝床のことへの不安が少しづつ大きくなってくる。

 三原市に近くなると、車が次第に多くなり、スピードもあまり出せず、車の流れに乗ってとろとろを進むだけになってしまう。あせりが少しづつ大きくなる。

 途中からバイパスに入り、三原市中心地をパスする。
しばらく進み、海沿いの2号線に入る。
2号線と並行して山陽本線が走っており、緑とオレンジの車両が僕を抜いていく。
案内板に尾道の文字が見えてくる。あと10km。

ゆっくり夕暮れが近づいてきた。
雨も本格的に降り出してきた。

びしょ濡れになりながら、ようやく尾道市に入る。
しばらく進み、尾道駅近くのファミリーマートでバイクを停めた。
店のひさしの下で、雨を避けながら、スマホ尾道のキャンプ場を探す。
検索に出てきた一件目は、公営のキャンプ場だった。
なんとなくいやな気がしたが、案の状、「あー、今日は満員ですよ。ゴールデンウィーク中はずっと満員。そんな突然電話されたって無理ですよ」と冷たくめんどくさそうな対応をされた。
カチンと来たが、そんな暇もなく、次のキャンプ場を探す。

因島にあるキャンプ場だが、電話してもだれもでない。よくサイトを見ると、まだ今の時期は営業期間でないらしい。
尾道では、他にはキャンプ場は見つからない。

さて、どうしたものか。

尾道の町は、さすが観光地らしく、駅前は雨の夕方にも関わらず、多くの観光客で溢れている。傘をさした観光客が目の前のフェリーターミナルに向かったり、帰ってきたりしている。

雨の中、ずいぶん陽が暮れ始めた。

さて、どうしたものか。
雨、宿未定、びしょぬれ。焦りが顔を出す。

まあ、こうした局面を自分自身、どう対応できるのか、48歳の中年になった自分に今、どれほどのタフさが残っているのか、それを見極めることとも、今回の重要なテーマでもあるのだ。


落ち着け、自分である。

 

そう思いながら、カッパを脱ぎ、店の中に入る。ホットコーヒーを注文し、お金を払いながら、若い男の店員に、「この辺にキャンプできる場所ってないですか?」と聞く。「キャンプ場なら、山手の方に県立のがありますが」
「そこは満員ではいれないらしいんですよね。キャンプ場じゃなくても、河原や浜辺なんかあればいいんだけど」と言うと、
店員は、「すいません。僕わかりません」と即答した。

まあ、そうだろうな、こんなこと聞く客はこの時期、たくさんいるんだろうな、そんな奴らにいちいち答えていたら、大変だろうな。わかりません、知りませんが一番いい答えなんだろうと、超自分勝手に腹を立ててはみたものの、そこは大人なので、「そう、ありがとう」と言って店を出る。

店の外のひさしの下で、落ち着いたふりをして、暮れゆく雨の尾道の町を見ながら、コーヒーを飲む。

さあ、どうしたものか。

雨が少し小降りになった。陽は暮れかかっているが、完全に沈むまでは、もう少し時間がある。
どんな島か知らないが、向かいにある島に行けば、とにかく島なんだから、テントを張れる浜辺ぐらいあるだろう。
島には橋が架かっているようだし、最悪、見つからなければ、雨に濡れながら夜通し岡山を目指し走ればいいと腹を括る。

 

そう思うと、少し気が楽になった。
そうだよな、寝るところが見つからないなら、寝なきゃいいんだ。

そこで、もう一度、店に入り、とりあえず、今夜の分の食料として、ペットボトルの水2ℓ、ウイスキーのミニボトル、菓子パンを買い込む。
もし、テントを張る場所が見つかったとして、今日は何も調理はしないだろう。
そんな元気は残ってないだろう。

 

スマホで島に向かう道を確認し、尾道駅を過ぎ、途中ガソリンスタンドで給油する。
給油してくれたお姉さんに、「あそこの島には、キャンプする浜辺とかありますよねぇ」と聞くと、「さあ、どうでしょう」とぶすっと返され、不安が増す。

 

橋を越えて入った島は、向島という名前で対岸に尾道の町の明かりが見える。
思ったよりも人の暮らしがある島で、大きな建物もあり、立派な町だった。

ただ、島自体はそんな大きくないようで、役場支所みたいなところの前にあるイラスト付きの地図で現在地を確認し、浜辺がありそうな場所を検討をつける。

 

地図では島の北東部に青少年の家みたいなところがあり、その近くならいい浜辺があるはずと判断し、そちらを目指したが、途中で道が分からなくなり、引き返す。

また、雨が降り出す。
自分がどこにいるのかわからなくなる。
時間がないのに、迷っている場合ではないのにと焦る。
真っ暗になったらアウトだ。あきらめて夜通しツーリングコースだ。

 

調べる間も惜しいので、仕方なく、あてずっぽうで海岸を目指し走ると、なんとか海までは出た。
海岸に沿って続く道を走るが、テントが張れるような浜辺は見つからない。
海水浴場でもあれば、駐車場の脇なんかが張りやすいが、浜辺に降りれそうな海岸はない。

途中、海辺の道の脇に小さな公園があった。
ベンチがあるだけの小さな公園だ。
ここなら張れそうだが、公園は夜中に人が来たり、管理人が来たり面倒だったりもする。
まあ、海端のうら寂しい、人ではない別なものが来そうな感じの公園だから、そんなことはないような気もするが、まあ、ここはキープということで、さらに、海岸線を走る。

 

道はいつの間にか、島を一周してしまい、さっきのイラスト付きの地図板の場所に戻ってしまった。陽はすっかり落ちて、あたりもずいぶん薄暗くなってきた。

仕方ない、さっきの公園にしよう。

海岸に向かう道をもう一度走り、公園までようやくたどり着く。

公園の入り口にバイクを停める。入り口の横の生け垣の小さな芝のスペースがあった。生け垣が、道からの目隠しになりそうなので、ここにテントを張ることにする。

また、雨が降り出した。
あたりはずいぶん暗くなってきた。
目の前の海はもう真っ暗だ。波の音だけが聞こえる。
急いで、積み荷を降ろす。
ビニール袋を二重にかぶせていたから、濡れてはいないが、すっかり湿っている。
テントを立て、荷物を中に放り込む。

 

テントに入ると、革ジャンだけ脱ぎ、寝袋を出し、すぐにその中に包まった。
少し寒い。
ガスバーナーをわずかな時間だけ焚き、テントの中を暖める。
焚きすぎると、狭いテントだとすぐに一酸化中毒になるから注意が必要だが、狭い分すぐに暖まる。
尾道のコンビニで買ってきたカレーパンを食べる。
時間はもう22:00近い。
テントのチャックを開け、外をうかがう。
もう真っ暗な闇があるだけで、何も見えない。
誰もいない。
バイクが雨に濡れながら目の前にあるのを確認する。テントのチャックを閉め、寝袋にもぐりこむ。

 

平成最後の日。
尾道向島の海の前の公園で一人野宿。
ウイスキーを飲むのはやめておこう。
夜中に何があるからわからないから。
寝袋に潜り込んだまま、ヘッドランプで、自宅から持ってきた野田知佑の「新放浪記」を読む。
大学生の頃、日本一周したとき、オートバイのタンクにユーコン川を下る野田知佑の写真をセロテープで張り付けていた。
彼の生き方に憧れていた。
あれから30年近く。
もう、この本を書いた頃の野田知佑の年齢にずいぶん近づいてきた。

テントに雨が当たる音を聞く。
公園の横の道を走る車やバイクの音が聞こえる。
歩道を歩いている男女の話し声が聞こえる。
夜にこんなところを歩く人がいるのか?
そんなことを考えながらいつの間にか眠ってしまった。

 

【走行距離】582km